自立とは、親からではなく、子供の方から手を放す事かもしれませんね

自立とは、親からではなく、子供の方から手を放す事かも知れませんね。

私の田舎には、

「子供と手を繋ぐと、甘ったれになる」
とか、
「抱っこは、歩き始めたらやらないもの」
(特に男親はやってはならない)

という様な考え方が根強く残っています。

若い世代の人はともかく、年寄り連中の前で、歩ける幼子を無闇に抱っこすると「甘やかしなさんな」と眼を細めながら言われたりします。

抱っこしなければ、あるいは、手を繋ぐ者が居なければ、子供は自ら歩くしかない。つまりは自立を選ばざるを得ない。
という理論なわけです。

程度の差こそあれ、私の身近でも、子供の自立のために、敢えて、突き放すという考えの人は居ます。

それは、間違いだ。

一概に、そうは思いません。
方針として図に当たり、本当に、子供の自立に役立つ場合も確かにあると思います。

私も子供の頃は、家業が一番大変だった時期という事もあり、放ったらかされていて、自分の事は自分でやるしかありませんでした。
(父親が自分の事は自分で出来る人だった事も影響してるかも? あー、でも二人の兄達は、今はともかく、子供の頃は違いましたね)

三人目の子供で、慣れていた事もあるでしょうけど、
「あんたは、手の掛からん子じゃった」
大人に成った今、母などは言ってはくれます。

家業が大変だった事も理解はしているつもりです。私も労働力として、手伝っていましたしね。

両親のことは好きだし、福祉に尽力していたから尊敬もしています。
思春期にも、親に対して荒れたこともありませんでした。

でも、やはり、不満は残っていて、寂しい時や困った時に、手を差し伸べて貰えなかった感は否めないでいます。

そんな子供時代を過ごし、孤独に感じる記憶も多かったので、我が子には、抱っこも一杯してきましたし、手を繋ぐ事もおしみませんでした。
(私自身が抱っこしたり、手繋ぎしたりが好きだし)

月曜日の朝に、上履きを忘れたり、書写の授業がある日に、書道セットを忘れたり、致命的な忘れ物の時は、届けてあげたりもしました。
(一時期、忘れ物をなくす(自立の)ために、届けないようにしようと思った事もありましたけど。)

だからといって、我が家の倅が甘ったれかというと、そーゆー訳でもありません。

日々、少しずつですが、一生懸命、自分で、色々出来る様に成りたいと、本人も喘いでいました。
喘いでいる…という程、大袈裟でもありませんけど、頑張っていましたね。
私に確認して貰いながらも、時間割も自分でやろうとしていました。

そのうち、致命的な忘れ物はしなくなり、持ち帰りモノの、忘れ物も少なくなっていきました。
倅に関して言えば、敢えて突き放すより、気持ちを安定させた方が、忘れ物をしなくなる様に思います。

水泳だって、高みに登ろうと、自分から飛び級テストを受けたりもします。

我が家の子供の場合、たまたまそうだった。

という、結果的なお話でしかありませんが、私の田舎の様な、子供の自立の為に、親から手を放すという方法でなくても、自立する子供は、少しずつでも自立をして行くものだ。とも思っています。

自立のうながし方は、各家庭、子供それぞれの性格に合わせた方法を見つけるしか無いのでしょう。まあ、それが、一番難しいんですけど…

我が家の倅の場合、親からの愛情に対して、満足感さえ得られれば、前を向いて行けるタイプの様です。

とか言って、まだ、先は長いし、この先解りませんけど。(^^ゞ

アメリカでは、子供に自立を促す為に、

随分小さい頃から、個室を与えて、一人で眠らせたりする方法がまだ主流ですが、これも、親が手を放せば、子は自立するしかない。的手法ですよね。

でも、最近では、アメリカでも、小さい頃は、出来るだけ両親と一緒に寝起きした方がよいという、考えも持たれるようになったそうです。不確かな情報ですが、統計的に幼少期から一人寝をさせられた子の方が、非行に走りやすくなるという話もあります。

個人的意見でしかありませんが、子供の自立って、親の方から手を放すのではなくて、
子供の方から
「もう、手を繋いでくれなくても大丈夫」
と放したい時ではないか? と思う今日この頃です。

寂しいですけど、その時に、親の方が、ぎゅっと手を握ってしまうと、子離れの出来ない親になってしまうんでしょうね。(^^ゞ

我が家は、少しずつですが、倅が手を放して行く事に合わせて、私も少しずつ、手を放して行こうと考えています。(^_^)v

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日々、努力していると思われる我が家の倅。二歳当時。