子供たちに読書を勧める理由 #読書 #本 #知識 #語彙 #漢字

私が、子供たちに読書を薦める理由。

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少年少女にとって、どうして、読書の習慣が必要なのか。時々書いてゆきたいと思います。

一種のトラウマなんですが、他人に読書を薦めようとすると、なんか身がすくむような思いがあります。
特に、成人した人で、読書習慣が少なかったり、まったく無い人だと、上手く伝えられない思いがあります。
伝えられたことが、一度も無い…といっても良いでしょう。
私の部下だった「ハッシュタグ上君」も、上司としての親心として読書を薦めましたが、読書が出来ない一人でした。

最大の理由は、人間が固まる年齢に達している。

という事があげられますが、今の自分を見下げられた気分、否定された気分もあったと思います。
「本に書いてあることが、本当とは限らない」
とか、
「自分で考えられます」
とか、読書しなくて済む理由を色々つけたりします。
ま、余計なお世話と思われてたんでしょう。が、しかし、

読書はやらないで損する事はあっても、やって損する事はない

読書の習慣は、文字、数字を覚えるのと同じ。デジタル処理を頭の中で行う行為なので、出来るだけ若いうちに身につけておいた方が良いと思います。

どんな本からでも構わないので、小学三~四年位から。
遅くても高校時代位には、読書・乱読する習慣は身に着けてほしいと願っています。
ギリギリで二十五歳までに。と言った所でしょう。

勿論、年を取ってからでも、構いませんが、なかなかシンドイ事になります。
何を読んでも、本当に思えたり、偉大に思えたり、嘘だと思えば嘘に見えたり、本質を処理出来てない様に思います。
古今東西の偉人や現代の脳科学者が「二十五歳までが限界」としています。
三十代までの私は「いや、何歳からでも読書は出来る」と思っていたのですが、最近「二十五歳説は正しいのかな?」と思う様になりました。
若い頃に読書習慣の乏しかった人は「話の詰めが甘い」気がします。
私の友人で、二十数年来の付き合いのある男がおります。彼の悪い癖で、大変利口ぶるのですが、話の詰めが甘い。(部下のハッシュタグ上君もそうでした)
目の前にある情報を適当に「辻褄合わせ」という、糊で張り合わせた様な話の展開をします。
話の辻褄なんて、正直、簡単に合わせられます。
例えば、
「熱帯の森林が伐採される画像」と「使い終わった割り箸が捨てられる画像」の二つだけで「割り箸の為に熱帯の森林が破壊されている」という辻褄合わせが簡単にできます。
実際は、もう一歩踏み込んで「裏どり」を考える事が重要なのですが、読書が苦手な人は、この「一歩踏み込む」事が出来ていません。それどころか「何それはこんなはずなので」とか「これこれはあり得ないから」と、物事の先を遮断し、話を狭い範囲に囲い込むので、尚更、辻褄は合わせやすくなります。その行動に気づかない。
此方が指摘した所で、結局、相手を傷つけるだけで終わってしまうので、止めました。

読書しないから、詰めが甘いのか? 詰めが甘いから、読書が苦手なのか?

最近、解らなくなっています。

しかし、青少年には読書をしてほしい。

読書の効能としては、主に、

①「知識」
②「本質を見抜く目が養われる」
③「一歩踏み込んだ、モノの考え方が出来るようになる」
④「語彙が豊かになる」
⑤「漢字の読み書きが強く成る」
⑥「自分自身が解る。実は何も解ってないことが解るようになる」
(でも、これ、他人い言われると「なにおう!」って思っちゃうんだろうね)

がありますが、読書に対してオススメの心構えがあります。

「この本から何かを学ぼう」と力まない事です。

著者の権威に縛られる事なく、侮る必要もありません。ニュートラルな気持ちで読む事をお勧めします。

少年少女時代であれば、権威ある本を頭から信じても構いません。
沢山読んでゆく事で、そのうち、自分の考え、意見も生れてきます。

私が司馬遼太郎先生に縛られたみたいに、特定の著者に溺れてしまう事もあるかも知れません。
そういう時期があっても構いません。他の本を沢山読むことで、そこから抜け出す事が出来ます。
読書は、自分のペースで、読み進めて構いませんが、出来るだけ色んなジャンルを読んでみましょう。
今、ウイルスをテーマに読んでいたとしたら、暫くは集中的にそのテーマの本を読み漁りましょう。
ある瞬間、ジェット機が音速を超える「ソニックブーム」の様な、ドーンと突き抜けた快感を得られます。(音速体験ないけど)

今回は、兎に角、少年少女時代から、読書をしてほしいというお話でした。

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