子供の自主性を重んじるばかりに、歪な親子関係にならないだろうか?
ある、教育評論者の方が、
「お子さんに命令しないでください」
というお話をされてました。
まあ、私もある意味、命令するのは嫌ですが、
お話的には、
「お水汲んでちょうだい」
と言わず、
「お水欲しいなぁ」
という会話が良いと仰ります。
さて、それはどういったものでしょう?
上記は一例ですが、このような言い方で、察する能力が養われ、気の利く、自主性のある人間に育つとか…
さらに、社会に出ても、言われなければ動かない人間より、気の利く方が、会社も手放さないに決まっている。
と言われます。
しかし、実社会では、気が利くが故に疎まれるケースも多々あります。
気が利く、と言う行為にも、色々なバリエーションがあって、特に会社等、複雑な人間関係の場所では、あえて魯鈍に振る舞う事の方が、気が利いた行動になる事だってあります。
ま、ともあれ、我が家の倅に
「お水欲しいなぁ」
を実戦してみましたが、何度か目に、
「水汲んで欲しいんなら、ハッキリ言ってよ!」
とキレられました。(キレられた時は水ではなく別のモノでしたけど)
そりゃ、当然ですよね。
倅からすると、親子なのに、よそよそしい態度が嫌だったそうです。
確かに、子供相手に、軍隊の様な高圧的に、
「なにそれをやれ」
を続けていれば、恐怖心から、命令以外で動け無くなるかも知れません。
(軍や自衛隊の場合、理不尽に対する耐性を養う意味があるそうですが)
しかし、親子間であれば、
「ねぇ、ちょっと、何それやって」とか「お水ちょうだい」
と言った所で、子供だってそれを本気で命令とは取りません。
虫の居所が悪くて「命令しないでよ」と言う事もあるかもしれませんが、
「いいよ」と快諾するか
「えー? 今ポケモン観てるのにー」
みたいに、言い返してくる子なら、親子関係は良好とみて良いと思います。
気が利く人間に育つかどうかは、また別の要素ではないでしょうか。
このお話をされた方は、子供の自主性を重んじ過ぎるために、
「こうして欲しいな~、ああして欲しいなぁ」
という言い方に拘っているのでしょうけど、この言い方も、受け取り方によっては「気持ちを察しろよ」とした命令の裏返しの様な、プレッシャーを与えかねないのではないでしょうか?
それに、余り自主性を気にしすぎると、理屈っぽさが入り込みすぎて、返って、親子関係がギクシャクする気が致します。
勉強なども、子供が自発的やる方が、望ましい事は確かですが、時には「さっさと、勉強しちまいな」と促すのも、
「どんなに、嫌でも、やらなきゃ成らんことだから」
と、現実を突きつけるのも、有りだと思います。
お互いモノがはっきり言える、正常な親子関係が出来上がっていれば、それほど問題になる事とは思えません。
もちろん、子供に自主性を持たせる努力は必要です。
が、このお話は、理屈に走りすぎて、気がつけば、おかしな親子関係にならないか、逆に、恐ろしく感じる所もあります。