結論ありきの話 #結論

結論ありきのお話もどういったものか

一頃、中央出版のCMの中に、次のようなモノがありましたね。

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結論→理由→結論。この手法はプレゼンでよく使われるが…

算数の問題。
答えが先にあり、それに当てはまる式を書いて行く、というCMです。

例えば、

□+□=5

みたいな問題が羅列されていて、四角の中に、とにかく、足して5になる数字を自由に書き込めば、それは全て正解というやつです。

「子供の数だけ答えがある」

と、ナレーションは言います。
(つーても□+□=5なら6通りしかないと言いたいのですが、複数問題のトータルで「子供の数だけ」なんでしょうね)
式があって、答えを導く方式に馴染んでいる世代には、ちょっと、斬新といいますか、衝撃的に感じた算数問題です。

しかし、この方式が本当に「良いか」と言うと、私は、はなはだ疑問に思います。
答えありきの問題には、ヨーロッパ的哲学の匂いがして、好きになれません。
ご存じの様に、ヨーロッパは小さい国々が集まっている地域で、大洋に浮かぶ一軒家の様な日本と違い、集合住宅のように、お互いのトラブルが耐えませんでした。
(トラブルの少ない集合住宅も多いですけどね…念のため)

自己主張や交渉する際には、
「結論としてはこうだ、なぜならば、このような理由があるからだ」
と「結論」(答え)を先に提示して、その結論に沿った「理由付け」(式)をしておりました。

「結論」と「理由」の辻褄があっているので、一見正しい様に見えるのですが、冷静に見てみると、単に「答え」に都合の良い「式」を持ってきているだけ。
という見方が出来ます。

例えて言えば…

Aさんという人物が居て、

「彼は悪人だ」という結論が、あらかじめ用意されたとします。

となると「Aさんは悪人である」という情報だけが必要となるわけで「信号無視をした」「ゴミのポイ捨てをした」「立ちションをした」等、悪しき情報だけが集められる事になります。
「Aさん悪人である」を証明等するには、それ以外の情報は、必要ないわけですから、無視されます。
そして、揃えられた式は答えと辻褄があっているので、Aさんは悪人に思えますが…
でも、正しい方法としては、信号無視やポイ捨て、立ちションもしたが、
「信号で立ち往生していた、お年寄りを助けた」
「拾得物をネコババする事もなく、届けた」
「大家さんのゴミ捨てを手伝って上げたりもする」
などの情報も含め、
「Aさんという人物像を求めなさい」
という方式の方が、個人的には正しいように思えます。

私の言っている事は、算数の世界に、哲学めいた話を持ち込んで、いちゃもん付けているだけ…なのかも知れません。
しかし、答えが先にあるのは、不自然に思えて仕方有りません。
色々な要素、式があって、それを見て答えを出す。
という方法が、やはり基本ではないか、と思うのです。
ま、算数位なら、たまには、答えありきの問題も、良いのかも知れません。
脳に新しい刺激になるかもしれませんしね。
でも、我が倅には、基本、物事を考える時は、答えと式の辻褄が合っていても、見落としは無いか、落ち着いて考えられる人にはなって貰いたいと思います。
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