「アノニマス」森喜朗氏がJOC会長を辞任しても構わないけど #アノニマス

アノニマス森喜朗氏がJOC会長を辞任しても構わないけど

森喜朗発言は確かに悪いけど】
なんか、あれも「アノニマス」に思えます。

【自分の事はさておいての芸能人】

性交渉が出来なかった事に腹を立て、
女性に土下座させた経験のある芸能人も、自分の事はさておいて「辞任すべき」と発信。しかも、彼、渋谷の道玄坂で女性警官に土下座させようとした事件も起こしています。道玄坂の件では、謝罪はしましたが芸能界は引退していません。
性行為を拒んだ女性を土下座させた件に関しては、ある番組で笑い話として公開、反省の言は無しでした。
教育評論家として著名な、
O先生。昔、ある地方で少年が行方不明になった事件があり、「ご両親が殺したんじゃないの?」という発言をしました。少年は一時的に迷子になっただけでした。O先生は発言を撤回し謝罪。現在でも教育評論家を続け、テレビにも出ておられます。
しかも、O先生。その後「私自身、子育てに失敗してるのよ」というお話を、テレビで笑ながらされたことがあります。本人は自覚ないのでしょうが「子育てに失敗」って、お子さんが失敗作みたいな言い方に気づいていません。子供が自分の理想に育たなかったから「失敗」。無意識にせよ、こんな感覚を持った人は、教育評論家として「不適切」と、今でも思っています。
「子育てに失敗」ではなく「親子関係の構築に失敗」ではないでしょうか。
【しかし、だからと言って、お二人に「辞めるべき」とは思っていません】
誰だって、失言もあるでしょうし、間違いも起こします。人間だもの。
ですが、それを反省し、成長してゆくのも人間です。更生のチャンスを奪ってはならないと思っていますし、間違いを犯したからといって、どこまでも叩いて構わないとは思いません。
【テレビの報道もいやらしい】
森喜朗氏の謝罪会見で、執拗に煽り、煽りに苛立った森喜朗氏の映像を「逆切れ映像」として編集しました。視聴者が興奮すれば、印象操作も有りなんですね。
【政治家相手なら何をしても許される? 政治家の人権は認められない?】
何年か前、関西の某県会議員の不正が暴かれ、本人による記者会見となりました。
休憩なしで数時間、詰問攻め、議員はとうとう泣き出しましたが、テレビ各局は、その、号泣シーンだけを切り取って、繰り返し報道。「号泣会見」として笑いものにしました。
不正は確かにいけません。当然、法的な裁きが必要です。
ですが、あんな、人権を無視した会見をさせておいて、何も感じない。むしろ当然とするメディア神経には正直寒気を覚えました。
【私は、森喜朗氏や政治家を庇っている訳ではない】
一年ほど前、女子プロレスラーが、テレビ番組で、何某か不快な行為をしたために、ネットが炎上。自殺に追い込まれた事件がありました。実情はテレビ局の演出で、やらされた事だったようですが、仮に彼女に落ち度があったにせよ。感情的になって、イジメ殺していいはずはありません。
【「アノニマス」はイジメ殺しも正義になる】
アノニマス」の数で、「正義」が決まるのであれば、女性レスラーを死に追いやった連中も正義になってしまいます。
【今や客観論を装った感情論の応酬】
感情的な暴言に、同じ感情論で返せば、事態は歪になって行くだけで、ただの炎上リンチになります。森喜朗氏がJOC会長を辞任しても、仕方ない事だとは思いますが、腹いせリンチが目的となっていないか、をよくよく考えて欲しいものです。客観的に正当な処罰を検討し、償いをさせるべきだと思います。
森喜朗発言だけを以て日本全体を蔑視する人権団体のリーダーの横暴と横着さ】
この民族蔑視は、「森喜朗氏と同じではないか」と思います。蔑視の対象が異なっただけで、同種の安易な偏見感覚を感じます。共に金メダル級の偏見です。辞任を以て解決していただきたい。
【報道が進むにつれ、日本人蔑視の部分は使われなくなる】
人権団体リーダーの「日本人蔑視」の部分が都合が悪くなったのか、報道が進むにつれ使われなくなりました。
【外国の日本人蔑視。それを仕方ないと観る日本人の気持ち悪さ】
森喜朗氏発言で、日本人全体がそう見られている事に「仕方ない」と思うのは、かつて、クリントン大統領が、愛人をホワイトハウス連れ込んだのを聞いて、米国人全体のモラル感を疑うのと同じ事です。それを仕方ないと思えるでしょうか。
【私が恐れているのは、感情論によるリンチです】
今回、一老人の女性への蔑視発言が発端になり、国際的な感情論の応酬になっています。
何百万人の人数を背景にして、感情論を正義にしてしまっていないかが心配です。
【余談、極論と思われるでしょうが】
過去二回の世界大戦は、大衆の感情論による、民族偏見によって引き起こされた。と私は思っています。「民主主義」の悪しき面です。「まさか」と思われるでしょうが、冷静さを欠いた国際感情論から戦争に発展してゆくケースは珍しくありません。感情論を尤もらしい理由にすり替えて、戦争を始め、敗戦国は、その時のリーダーに責任を押し付けてお仕舞。民衆の感情論は無責任すぎます。その意味で、将来、独裁国家が世界を牛耳る時代がくるかも知れません。
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