俺の家の話 第五回を観終わって

【面白いけれど】
宮藤官九郎さんの脚本は好き。という事はありますけど、今回は「ここが面白い」と言い切れない所があります。
「人間国宝の、女癖解明」みたいな内容になってきました。
「まゆみ」という女性の名前が登場し、なんか「さくら」と関係ありそうな、母娘ではないか的雰囲気。
家族で旅行に出かけ、「柏」で、一旦降りて、また、別の女性が現れる。
もとから、そういうストーリーを考えていた。…のかも知れませんが、なんか、行き当たりばったりで作っている感が否めません。ロングシリーズのアメリカドラマ観ている感じ。
今回は、苦労官九郎に思えます。まあ、物語を生み出すって、毎回苦労だとは思います。
【「観山家」と「さんたまプロレス」って】
まるで、直ぐ隣。寿限無をヘッドロックしたまま、ジムまで連れて行けるって、直ぐ隣でしかありえません。「さくら」もリングサイド迄追いかけてきてるしね。
【元が山本亭だから仕方ない】
観山家個人宅、玄関の前に、ガッツリ横断歩道が敷かれています。不自然に感じますが、仕方ないですね。実際に、個人宅の門正面に、横断歩道を敷く事もあるかも知れません。
しかし、山本亭の前。意外に車の往来が多く、特に、正門を見て右手からの、車は見えなくて恐いです。
【世阿弥】
世阿弥の事は、有名な能楽師という位の知識しかありません。
正しくは「申楽師」らしく、申楽から、能、歌舞伎等に派生したと言われていますが、歌舞伎に至っては、別物という印象が強いです。
昔、何かの本で読んだ「世阿弥」の有名な台詞があります。
「老残を晒さぬ為には、演じぬ事。しかし、達人に至れば(演じれる)物数は失せても、花は残る。(老木の花)」
正確ではありませんが、こんな事を言っていました。
要するに、
年を取ると、体力も衰え、大きな芝居は出来なくなる。無理すれば、醜態を晒すだけ、ならば、演じぬことが一番である。だが、名人の域に達すれば、演じれる役は減っても、一瞬の煌めきは残せる。
世阿弥は四十歳を、一つの目安としたようですが、それは、室町の昔の事(1300~1400年代)。現代なら、還暦以降に匹敵するのではないでしょうか?
【「サザエさん」と「能」】
「能・申楽」とは、ほぼ室町に確立した芝居文化ですが、その頃から、殆ど変化を見せていません。「伝統芸能」と言ってしまえばそれまでですが、能で使われる室町言葉は、ハッキリ言って現代人に分かりませんし、当時の文化も分からない事が多いので、観る側に並々ならぬ努力が必要になります。伝統に縛られて、変化出来ない芸能は、どうあがいても消えてゆくでしょう。
変化したくても「伝統」という鎖に縛られてしまったのかもしれませんね。
アニメ「サザエさん」。我が家では、まあ、観なくなりました。
サザエさんも、倅の世代には、分からない部分が増えています。元が、終戦直後のお話だし、未だに黒電話、ブラウン管式のテレビ、誰一人携帯電話も持たず、パソコンも登場しない(一度、隣のイササカ先生がメールで原稿を送る回があったらしいですが)。強引に、昭和中期を令和に持って来ています。サザエさんも、伝統に縛られて、現代では分かりづらい「能化」している作品ですね。どうせなら、もう舞台は昭和にしてしまって、「昭和はこうでした」という注釈を入れながらなにした方が良いのかも知れません。
『俺の家の話』2/26(金)#6 ついに25年ぶりの家族旅行スタート!!【TBS】
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