一社提供ナショナル時代劇「水戸黄門」 #水戸黄門 #副将軍 #水戸黄門 #水戸藩士 #水戸学

一社提供ナショナル時代劇「水戸黄門

水戸黄門は世直し旅に出ていないが…

徳川光圀】1628年~1701年
言うまでもなく、水戸光圀の事であり、「水戸学の祖」となりますが、徳川家康の孫で、三代将軍・家光の従兄弟になります。
日本で最初の「日本史」を纏めた「大日本史」を作らせた人物としても知られています。あと、日本で初めて、ラーメン食った人としても知られてますね。
それまでも、「古事記」や「日本書紀」「太平記」等、歴史を記した書物は沢山ありましたが、時代、時代を綴ったたけで、日本史全体として体系化した書物はありませんでした。
そこで、徳川光圀公が「そうだ、日本史を編纂しよう」と思い立ったのは十八歳の時でしたので、「関ヶ原」「大坂の陣」からそれ程遠くない、1646年から編纂に取り組み始めた事になります。この時、光圀は、全国から一流と呼ばれる学者を、なんと、130名も集めたと言いますから、かなり大規模に取り組んでいたことが伺えます。
編纂の中で、光圀は中国の「宋学」に触れ「尊王攘夷」思想を知る事になります。「日ノ本下で最も尊いのは、天皇であって、将軍ではない。将軍もまた、天皇の家来である(事実、将軍職は天皇陛下が下げ賜ります)」とし、ここに、「水戸学」の基礎が出来上がりました。
その後、光圀公亡き後も、水戸藩のライフワークとして編纂は続けられ、完成したのは、明治三十九年(1906年)でしたから、実に開始から二百六十年も経っていました。お隣の、中国では、清朝最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」が皇帝に即位する二年前の事です。なんとまあ、大々々々事業ですね。素晴らしい。
因みに、水戸光圀公と言えば、「副将軍」を自称していたと言われますが、官職に「副将軍」はありませんから、「さきの副将軍」と言っていたとしたら、本当に自称だったんでしょうね。
【ナショナル提供・水戸黄門
水戸黄門」の世直し旅、といえば、かつては、月曜八時の連ドラで、超ロングシリーズで放映されていたドラマです。ドラマを知らない世代でも、なんとなく、水戸黄門が「助さん」「格さん」の御供を連れて、宿場宿場の悪代官を懲らしめて回るお話である事は、知っているかも知れません。
しかし、実際の水戸黄門は、水戸からほとんど出た事はありませんでした。代わりに、というか、「大日本史」編纂の為に、助さん、格さん、「風車の弥七」のモデルになった男たちが、光圀公の命で全国を旅した事は確かなようです。

※次回は、本当に世直し旅をした「江川太郎左衛門」と「剣術」について書きたいと思います。

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