江川太郎左衛門の世直し旅 #幕末 #江川太郎左衛門 #韮山 #代官

大河ドラマ「青天を衝け」第六回を観終わって②

江川太郎左衛門

【マジ世直し旅をした男「江川太郎左衛門」】
江川太郎左衛門とは、幕臣・江川家の歴代当主の名前ですが、最も有名な太郎左衛門は、幕末に活躍した、江川英龍(1801年~1855年)で、通常「江川太郎左衛門」と言えば、この英龍さんの事を言います。
伊豆韮山代官で、老中・水野忠邦の失脚後、新老中となった阿部正弘に評価され、1853年の、ペリー来航直後、勘定吟味役格に登用されます。
ペリーの再来航の時、僅か八カ月の間に築かれた、お台場の砲台を見て、ペリーは驚きますが、お台場造営の指揮をしたのが江川英龍でした。
英龍さんは、西洋の砲術にも精通し、武装解除を意味する、ペリー艦隊の礼砲(空砲)に礼砲(空砲)で返すという、非欧米社会では知られていない離れ業もやってのけています。
因みに、欧米の礼砲に対して、実弾で返した為に、それを口実に戦争に持ち込まれ、法外な賠償金を要求され、払えない為に植民地にされてしまった国もありました。
他、江川英龍は、ナポレオン軍の強さの秘密は「軍隊食としてパンを携帯させているからだ」と判断、日本で初めてパンを焼いた人としても知られています。
さらに、鋼鉄を作るための、反射炉の建造に着手したのも彼でしたが、満で54歳という若さで病没、完成は息子さんの代まで持ち越されました。日本初の反射炉は「韮山反射炉」と呼ばれています。
江川太郎左衛門(英龍)隠密行】
英龍は伊豆韮山代官でしたが、江川家の管轄地は、伊豆、駿河、甲斐、相模、武蔵と異常に広いものでした。神道無念流の同門・斎藤弥九郎と親しく、彼と共に広大過ぎる領内を「刀売りの行商人」「職人」「浪人」という体で、何度も世直し旅に出かけ、民百姓を救い、汚職役人を懲らしめて回ったといいますから、リアル水戸黄門といいますか、遠山の金さんの様なヒーローでもありました。(水戸黄門遠山金四郎は実在しましたが、江川英龍の様な事はしていません)
なんで、こんなに面白い、江川英龍をドラマにしないんでしょうね? 不思議です。

江川太郎左衛門自身が描いた「甲州隠密行の図」。絵心もあった。

斎藤弥九郎
神道無念流の達人。剣術道場・練兵館は、斎藤弥九郎によって開かれました。
「技の千葉」(北辰一刀流玄武館)、「位の桃井」(鏡新明智流士学館)と並び、「力の斎藤」と称され、江戸三大道場に数えられ、他国から江戸に剣術修行に来る者達は、こぞって、この三道場に入門しました。有名な門弟には、桂小五郎高杉晋作井上聞多伊藤博文品川弥二郎らが居ます。

斎藤弥九郎

【ドラマの中に見る剣術】
道場破りとの試合で、木刀をガンガンぶつけ合うシーンがありましたが、古流の実践剣術では、あんな刀の受け方は先ずしません。精妙な心理トリックを駆使した錯覚を利用したり、太刀筋を逸らすように受け流して、カウンタ―を取りに行く技を使います。ドラマ中のあれは、見栄えを意識した「殺陣」ですが、まあ所謂「チャンバラ」ですね。
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