岩倉具視 #吉沢亮 #草彅剛 #大河ドラマ #青天を衝け

大河ドラマ「青天を衝け」第二十三回を観終わって②

岩倉具視

番組の最後に紹介された、京都・北東部岩倉の岩倉具視幽棲宅跡。学生時代の最後の年に、近所に住んでいました。(懐かしい)
岩倉具視は、幽棲中に自らが炊飯する事も有った程に貧乏になったとありました。
それは本当ですが、岩倉具視の性格は博徒の親分に近く、謹慎中は自宅で博打場を開き、胴を張っていた程に、強かで逞しい人でもありました。その意味でも「公家らしからぬ暮らし」をしていたんですね。

小御所会議では情けない感じに描かれている

幕府寄りの前・土佐藩主・山内容堂(隠居)が「何故、この場に慶喜公が居ないのか?」と食って掛かる場面がありました。
容堂公は自ら「いつでも酔って候」と扇に墨書する程の酒好きで、確実にアル中でしたが、剣と論も立つ人です。終始ビクビクしていた感じで描かれる岩倉具視でしたが、記録では、論客・容堂の失言を指摘して黙らせています。
会議では、容堂公も独壇場と思っていたのでしょう、つい「幼冲の天子を擁し奉りて、政権をほしいままにせんとは」と言った瞬間を具視は見逃しません。
「大不敬であるぞ! 幼冲の天子とは、何事か? 聖上(現・天皇陛下)は不世出の英主(優れた君主)」と恫喝し、「こんにちの挙はことごとく「しん断」(天皇陛下による判断)より出ましたるもの。土州! いまの言は看過できぬ」
「幼冲」とは「幼い上にも幼い」という意味ですが、「何も分からぬ小僧」という見下したニュアンスもあり、この事が容堂公にとって不幸でした。
要するに、「天子が、まだ子供で、何の分別のつかないのを良い事に、操ろうとしているではないか」という容堂公の指摘に、岩倉具視「言い方」を指摘。論点をずらす事で反撃に出たわけです。その後、岩倉具視は休憩を要請し、大久保利通西郷隆盛らが「例の酔っ払いが、あくまでも反対している」と困っている所に、「会議再開と同時に私がカタを付ける」と懐の短刀をチラつかせたと言います。同席していた芸州・浅野長勲ながことが「それは止した方が良い。後藤象二郎(記録上、大政奉還を立案した土佐藩士)をもって、説得せしめる」と提案しています。
いずれにせよ、岩倉具視は口喧嘩も相当達者な人だったと思われます。
山内容堂岩倉具視。どちらも正直、ヤクザっぽい人格だったので、実際の「小御所会議」は凄まじかったのでしょう。まあ、お行儀の良さで、政治が動く時代ではなかったのかも知れません。
に、しても、山内容堂公は写真で見る限り、シュッとした男前なので、ドラマではちょっと残念でした。
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