徳川慶喜公 #徳川慶喜 #最後の将軍 #幕末 #明治維新

徳川慶喜


そんなに面白いと思って観ている訳ではありませんが
私は、家康には「公」とは付けたくないが、慶喜公には「公」と付けたい
ドラマの中で、篤姫さんに「小さい」と言われた慶喜公ですが、私は、徳川慶喜公が好きです。というか、幕末の世で、世界の中の日本が見えていた数少ない賢人の一人だと思っています。
慶喜公以外で、状況が見えていたのは、大久保利通桂小五郎勝海舟、そして「竜馬が行く」の中の坂本竜馬(龍馬)位だったでしょう。
他、中岡慎太郎や、後藤象二郎等も、よく分かっていたと思います。
慶喜公は、日本が内乱になってしまえば、それに乗じて、外国が介入し、日本を分け取り、或いは植民地化すると考えていたと、私は思っています。
大政奉還」の後、幕府側に付いたフランスが、「大阪」に改名した大坂に勝手に上陸。測量をした挙句、咎めた新政府軍の軍旗をフランス兵士の一人が、持って逃げるという蛮行を働いています。
フランスは「大政奉還」と言っても、徳川家は健在ではないかと見、新政府を認めませんでした。
西郷隆盛等が、戊辰戦争を起こしたのも、「結局、内外に新政府を認めさせるには、武力で潰す以外しかない」と考えたからだと思います。
その中で、自分の存在が政治的に、どれほど重要であるかを徳川慶喜公は理解でき過ぎるほどに、理解出来ていたのだと、私個人は思っています。
「自分が「腰抜け」或いは「小さい」と思われようとも、日本を決して植民地にしてはならない」
と、考えていたのではないか…と、私は思っています。

徳川家康等は…

四百年余前の政治家で、優れた人物とは思います。が、やはり、必要のない「天下の横領」の大罪人だと思います。
山岡荘八は、小説・徳川家康伊達政宗の中で、「天下泰平を願っての事」として扱っていますが、秀吉の遺言通りに、五大老の権威と五奉行の権力を合わせれば、後継者、秀頼を擁した太平国家は出来たと思います。むしろ、関ヶ原という戦争の手間は省けたでしょう。
どう、綺麗ごとを言った所で、「徳川の天下を欲した」感は否めません。
しかも、これは、徳川家康の長所でもありますが、「前例の無い事(成功例以外)はやらない」という姿勢も、私は個人的には好きではありません。
それだけ「失敗はしたくない」という思いが、強かったとも言えますが、信長、秀吉のような革命、改革家で、迷信を信じないタイプではなく、かなり迷信を気にしていた側面も、私好みではありません。
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