朝陽新聞販売店の想い出 #新聞 #ライター #朝日新聞 #東京新聞

朝陽新聞販売店の想い出

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新聞はもともと好きだったけど
ホンマの話でっせ、お客はん

前々から記事にしたいと思っていたお話なんですが。この話。他人にすると、ちょっと信じて貰えません。しかし、掛け値なし、本当のお話です。
ライターをやっていた頃、ある官庁関係の依頼で、隣県の「センバ日報」という地方紙を購読する事になりました。
しかし、「センバ日報」独自の販売店を持っておらず、大手新聞の販売店に委託しています。問い合わせると、「お住まい近くの販売店は、○○町の「朝陽新聞」の販売店になりますね」といわれました。
教えられた「朝陽新聞」販売店は、以前、カミサン名義で購読していた販売店です。
なんというか、お願いした事がちゃんと出来ない販売店で、「旅行で一週間留守にするので、その間、新聞を止めてください」等とお願いすると「はい、○○マンションの子育てさんですね。了解いたしました」と、返事は良いのですが、旅から帰って来るとポストに新聞がギッチギチに詰まっていたりする。月末の領収なども信用できない。
言葉は悪いですが、全体的に、ボケた感じなので、割と長く購読していた「朝陽新聞」の購読を止めてしまった過去がありました。
「センバ日報」を頼んでも「朝陽新聞」が届けられる心配は十分にあったので、「朝陽新聞」の名前は一度も出さず、兎に角「センバ日報」で押しました。
「来月一日から、「センバ日報」の配達をお願いしますね。 「センバ日報」ですからね。お願いしますよ。それと、仕事で購読するんで、領収書は次の住所・宛名でお願いしますね」
「ハイ…どうぞ」
「都内〇○区○○…株式会社○○」
電話の向こうで、「ハイ、ハイ」という返事と、カタカタとキーボードをたたく音がします。
「来月一日から「センバ日報」ですね」
向こうも、念を押して来ましたので、
「そーです、「センバ日報」です。お願いしますよ」
そして、翌月の一日。
新聞受けには、「朝陽新聞」が届けられていました。

直ぐに販売店に電話を入れ、
「何度も言ったでしょ、「センバ日報」を配達して下さい」
「あーっ、すみません。直ぐお届けに伺います」
と言って、持ってきたのが「朝陽新聞」。
「あのね、「センバ日報」でないと困るの」
「あっ、すみません。直ぐ取りに戻ります」
帰ろうとする販売店の人に、
「これ(朝陽・二部)持って帰って」というと、
「いえ、差し上げますので」
「同じの二部もいらないよ…」
そんなコントのような事があって、ちゃんと「センバ日報」は配達されるようになったのですが、今度は、月末の支払い、その領収書です。
あれだけ言ったのに、「我が家の住所に、カミサンの名前」になっている。
あの、パソコンで入力していたらしい、音はなんだったのか? 何を入力していたのか? さっぱり、わかりません。
「領収書は、会社の名前と住所でお願いしたでしょ?」
というと、
「あーっ、そうでした済みません。直ぐ書き直して持って来ます」
社名と住所は、忘れていた様なので、その場で教え、再び、持って来たのが、住所は会社になっているが、名前がカミサンのままになっている。
「もう、社名が違うでしょ!」
「あっ、すみません。直ぐに…」
帰ろうとするので、
「待って、待って、待って…あのさ、ここで書けない?」
「いや、帰って、これで」
パソコンのキーボードを打つ仕草をしますが、
「それが、信用出来きないんだよなぁ…」
そして、持ってきたのが、社名は直っているが、住所がウチになっている。
そんなやり取りがあって、何回目かでOK。
しかし、翌月、また、我が家の住所で、カミサンの名前の領収書からスタート。
これは、一回で修正できましたが、こんな販売店がありました。今もあるのでしょう。
【因みに】本来、新聞は好きなのですが
大昔から、新聞や テレビ(NHK含む)の報道は、偏っているものですが、それでも、昔は、この二大メディアに頼らざる得ませんでした。
以前、記事にしたことがありますが、新聞は、色々な分野の情報が入って居るので、読んでいて楽しいです。
しかし
政治面、社会面の情報が、以前に増して偏りが酷くなり、捏造なんて当たり前。一方的な正義の為なら、捏造は許される的報道。自分の正義にとって、都合の悪い情報は「報道しない自由」と、開き直って、もみ消す等。もう、報道とは言えなくなっています。
朝日新聞」の「所謂・従軍慰安婦捏造報道。その記事を読んだけで、強い論調で記事を書いたという、「ニューヨーク・タイムス」他人の捏造記事を写しただけ、調べ裏付けずに書いているなんて、一個人のブログじゃあるまいし、報道としてあまりにも無責任ですね。
東京新聞
購読料が安いので、東京新聞を購読していた時期もあります。
しかし、「基地問題」で偏った報道をし、デモ時の交通整理をしている警官をつかまえて「まるでゴキブリ」といい「老人が万引きしようとした」だけで、イコール「貧しい人(社会)」貧しいから万引きするとは限らない等、安易な記事を読んでいるうちに、嫌になり、「新聞はもう駄目か…」という思いから、東京新聞も止めました。今では、どの新聞も購読していません。
一頃、「本当を知りたいなら、東京新聞」なんて滑稽なCMやってましたが、おかしかったです。
「本当の事は、千に三つも書いてない」が正しい気がします。
でも、入試等に
未だに、特定の「新聞コラム」、「社説」が使われているという、悪しき習慣が残って居ますね。
天声人語」等、他人の主観を書き写す愚かな習慣もありました。もう、新聞を軸に物事を考えられる時代では無くなってしまった気がします。元々、そんな事をすべきではないのでしょうね。
ただ、有名私学「W」の様に
新聞ではなく、一介のフリーライターの記事を入試に使うなど、新聞離れを試みている学校も出てきたようです。
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