大久保利通翁 #吉沢亮 #草彅剛 #大河ドラマ #青天を衝け #大久保利通

大河ドラマ「青天を衝け」第三十三回を観終わって

色んな偉い方々が亡くなりはじめました

実際には、士族らの不満やらなんやらで、西南戦争が始まり、その旗頭に担ぎ上げられたりして、亡くなったり。「士族が苦しいのはあいつのせいだ」として暗殺されたりして、徐々に亡くなられてますが、ドラマの残り回数の都合もあって、ポンポン亡くなり始めたのでしょう。

大久保利通

私個人としては、当時、誰よりも具体的に日本国を考える事が出来ていた人だと思っていて、最も尊敬している人物です。
ドラマでも少し触れていましたが、自分名義で国の為に借金を沢山していて、私腹を肥やしているような人物ではありませんでした。
この辺り、江戸中期、幕府の命で、薩摩藩が請け負った「宝暦治水」(1754年2月~1755年5月)。美濃(岐阜県)木曽三川木曽川長良川揖斐川)の治水工事の指揮官・薩摩藩家老・平田靱負ゆきえと似ています。
この工事は、外様大名薩摩藩の財力を削ぐ為の、嫌がらせ工事でしたが、工事資金が底をつき、家老・平田靱負は、自分名義で大坂の「萬商い(商社)」伝馬屋から二十万両の借金をします。
商人側も、借用証文を見て「ほんまに、これで二十万両をお借りになるつもりですか?」静かに驚いたそうです。
証文は、薩摩藩の公式書類に思えましたが、「薩摩」の文字は一文字もなく、あくまでも「平田靱負」個人による借金だったからです。
それを承知で、二十万両用立てた、大坂商人は、「平田靱負」自害の報を、慌てて伝えに来た番頭に向かって「あの二十万両はな、端から、平田はんへの御香典の積りで、預けましたのや」と言ったという伝説が残って居ます。借金を申し込まれた段階で、「平田はんは、お腹を召されるおつもりやろ」と思ってたんですね。この「伝馬屋伝」の「真偽」はともかく、「かっこいい」です。
大久保利通も、同じ薩摩人、平田靱負に見習っていたのてはないでしょうか。

武士は食わねど高楊枝

最近では「食い詰め浪人の見栄」の様に思われがちなこの言葉ですが、「武士為政者たるものは、飯を食ってなくても、食べた様な顔をしているものだ」という意味でした。
大久保利通も、国を代表する者として、一見煌びやかで、何不自由がないように見せてはいるが、その実、国の為に借金だらけ、下帯一本自費で買えない位でした。
この感覚が、現代にも残っているのか、「政治家は身を切って当たり前」と思う人が多いのかも知れませんね。

渋沢栄一の痛快さが見当たらない

私個人の期待は、もっと、痛快な渋沢栄一業物語だったんですが、なかこう、あくせくしている感が強く、こういう仕組みを作ったとか、こういう仕組みで切り抜けたとかが、描かれてはあるんですが、なんかこう、薄い感じがします。
この記事が面白いと思ったら、ブログ村プロフィールをポチしてください
PVアクセスランキング にほんブログ村
子育てヒロシのオフィシャルブログ - にほんブログ村