「義経」という男【コメディ大河】鎌倉殿の13人「第11回」 #小池栄子 #小栗旬 #菅田将暉 #新垣結衣 #義経 #鎌倉 #大河NG #鎌倉殿の13人

義経」という男【コメディ大河】鎌倉殿の13人「第11回」

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五条大橋で辻斬りを働いていたのは牛若丸の方という説もある

いくらコメディ色が強いからって
第十回放送で、カメラマンが映り込んだそうですね。
私も観ていたんですが、所謂「ながら観」だったので、話題のNGシーンは見落としてしまいました。
録画を残して居れば、確認出来たんでしょうけど、残していなかったのは悔やまれます。
指摘を受けて、翌週の再放送では、もう修正されていたそうです。
この辺りは、デジタル時代の凄い所で、詰まらない所ですね。
義経は根性悪い
腹違いの兄を唆し、無理に戦場に赴かせて戦死させる。結果的に兄の暗殺を成し遂げた義経は、性根が腐っています。
義経は戦の天才ではありますが、それと引き換えたように、人間性が欠如し、政治感覚にも鈍い人だったようです。
ドラマでは、平泉から鎌倉に馳せ参じる途中。猟師を騙し討ちする場面があって、残忍な性格が表現されていました。
猟師騙し討ちのエピソードは、実話ではないと思われますが、あの、サイコパスな性格のお陰で、「壇之浦の合戦」では、当時、非戦闘員扱いであった(舟の漕ぎ手)を弓で狙撃させるという無法行為を敢行出来ました。
恐らく世界初の騎馬集団を編成した男
中世、洋の東西を問わず、「騎馬戦」と言えば、基本、一騎打ちでした。
兵はともかく、彼方此方で一騎打ちが展開され、一騎打ちの集まりな感じの戦いだったようです。
騎馬戦まで集団戦に変えた義経は、恐らく世界初の人物だったのでしょう。
古代において、ギリシア等に「ファランクス」がありますが、あれは、徒歩の集団戦ですね。
福原(現・神戸)西に位置する「一の谷、鵯越の逆落とし」の奇襲攻撃も、義経が騎馬軍団を編成したからこそ、成功したと言えるでしょう。
世界初(?)の騎馬軍団は後に…
源義経チンギス・ハーン。という伝説を生みます。
平家滅亡後、頼朝と対立した義経は、追い討ちをうけ奥州平泉に逃げ込みます。頼みの藤原秀衡没後、息子の泰衡に攻められ自刃いたしますが、さにあらず大陸に渡ってチンギス・ハーンとなるという伝説。
モンゴル軍が騎馬軍団であった事、チンギスが小男であった事、モンゴル軍の旗が、源氏と同じ白であった事。モンゴル軍が起こったのが、義経没後であった事等が伝説の由来でした。
日本国内でも、源義経チンギス・ハーン伝説はあった様ですが、明治になって来日したイギリスの歴史研究家が、源義経の生涯に興味を持ち、研究し、源義経チンギス・ハーン説をヨーロッパに紹介して居ます。
義経が頼朝の追及を逃れ、藤原泰衡義経を攻める振りをして、大陸に逃がす。義経はモンゴルに渡り、大帝国を起こし、鎌倉幕府憎しとして孫のフビライに日本を攻撃させた。(遺言として)
というお話は、ロマンがあって面白いですが…まあ、多分、おとぎ話でしょう。
でも、真実であったら、なかなか痛快なお話です。
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