【燃えよ剣 上・下巻】司馬遼太郎 著
子育てヒロシ的評価=基本★★★★★
ブルース・リー主演「Enter the Drago」の邦題を考えた、日本の配給会社の担当者が司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」をリスペクトし(最近ではオマージュって言わんと、いけんのかな?)「燃えよドラゴン」と名付けた程に、影響を与えた秀作。
【あらすじ】
文久年間。無法化した京洛の治安を守るために結成された新選組。
土方歳三はその卓抜した組織作りの才能で、局長・近藤勇を持ち上げつつ、冬霜の様な厳しい隊律を以て、新選組を最強の剣術集団に仕上げてゆく。「池田屋騒動」で新選組は名を上げ「禁門の変」でその存在はピークに達する…
「大政奉還」を経て、鳥羽伏見の戦いから函館戦争(蝦夷共和国)と幕府に付き従い、新選組創生から滅亡まで土方歳三の生涯を描く。
【こぼれ話】
土方歳三は「オーガナイザー」としては、卓抜した才能があったと思います。司馬遼太郎先生の別作品の中でも、戦国の世であれば、近隣四方を切り取って大大名になったであろう。と言わしめています。
新選組の執政・土方歳三が布いた局中法度は、籠城タイプのルールでした。
籠城タイプと言うと、消極的なイメージがあるかもしれませんが、逃げ出す事をゆるさず、鉄の掟で縛り付けなければ、籠城で戦い抜くことは難しかったと言われています。
中国の思想家「墨子」は、非戦を思想の軸にし、籠城戦の専門集団でしたが、攻め手より厳しい掟を城内に敷いていました。土方歳三は攻撃部隊とも言える、新選組に、籠城戦の厳しさでもって、締めています。
局中法度
一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
一、私ノ闘争ヲ不許
右条々相背候者切腹申付ベク候也
(実際の法度は、世に知られているモノとは少し違うという説もあります)
有名な、局中法度ですが、よく考えられています。大抵は「士道ニ背キ間敷事」で、隊士を粛清できました。しかし、こうした冬霜のような「掟」は長期に渡った戦闘には不向きでした。
隊士は、苦しさから必ず、逃げ道を探すようになり、内部分裂(伊東甲子太郎 等)も生れやすくなります。新選組も京都に駐屯している間は、掟が機能していましたが、鳥羽伏見の戦いで、大量の脱走者を出すようになります。
そのため、新選組は、敵よりも粛清した同志の数の方が多かったといわれています。それでも、数年もの間、掟を機能させたのは、やはり土方歳三という人物は只者ではなかったのでしょう。
映画「ラスト・サムライ」は、西南戦争をひとつの舞台にし、函館戦争に参加したフランス軍人「アンドレ・カズヌーヴ」をモデルに作られた作品だそうです。