京都へゆく事を何故「上洛」という #上洛 #新選組 #京都 #時代劇

大河ドラマ「青天を衝け」第十三回を観終わって

私はNHKの民営化と
BSチャンネルからの即時撤退を願います


やっと第十三回観終わりました
仕事が忙しく、なかなか溜まった番組が観られない状態が続いていました。
会社の外部対応の失敗の煽りをうけて、ちょっと忙しい事になっておりました。ま、それはまた別の機会に書こうとおもいます。
多分、誰もが気付いたNG場面
髷を侍髷に結い直して、上洛する二人でしたが、なかなか円四郎にも会えない状態でした。
栄一、喜作の月代が…
たった、二カ月で総髪状態。髪の毛は、一日0.3ミリ伸びるらしいので、二か月だと、せいぜい2センチ程度しか伸びません。
明らかに、ズラミスでしたね。
新撰組の「だんだら羽織」
一瞬でしたが、新撰組土方歳三が登場してましたね。新撰組と言えば、ユニフォームの「だんだら模様」の羽織は有名ですが、実際、あの羽織は、新撰組結成から僅か一年しか使われていませんでした。
「だんだら羽織」が使われなくなった理由
「ダサイ」事が理由でした。隊士に評判が悪く、土方歳三沖田総司も「ダサイ」と思っていた様です。局長の近藤勇はどう思っていたか、分かりませんが、土方、沖田両君は隊の制服はカッコ悪いと思っていたようです。
では、結成一年後の隊服は
全身、黒ずくめが、隊服として採用になりました。
【良い子への雑学「何故、京に上る事を上洛と言う」】
明治になって、天皇陛下江戸城跡(現・皇居)に住まわれるようになります。そして、直ぐに定着したわけではありませんが、東京に上る事は「上京」と言うようになりました。
では、天皇陛下が京都に住んでいた頃なら、京に上る事を「上京」と言ったかというと、そうではありません。
京都は、街が出来た時から「洛」と呼ばれていました。
古代中国の首都「洛陽」をモデルに作られた街だったからです。「洛陽」は現在中国でも存在する、内陸部の都市ですが、古代中国史では、何度も首都になった街です。
天皇陛下皇居住まいの現在でも、京都には、京都御所がありますし、修学院離宮桂離宮等、朝廷施設が現存していますから、今でも、京都上る事を「上洛じょうらく」と言います。
因みに、書類上で、京都から東京に、正式に遷都した記録はないと言われています。
少なくとも、二十~三十年ほど前に、正式に遷都されていない。という事が話題になったことがありました。現在は分かりません。
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