岩崎弥太郎と大久保利通 「青天を衝け 第31・32回」

溜まっていた「青天を衝け」を観ました
31回冒頭辺りで、三井番頭、三野村(イッセー尾形さん)が、「私は字が読めません」という場面がありました。多分、役人である渋沢栄一に対する、何かしら嫌味で言ったセリフなんでしょう。
商人、しかも、番頭格で文字が読めない事は、「絵は描けませんが、画家で、それも大家でございます」と言っているようなものです。
江戸時代、寺子屋で学べなかったとしても、丁稚として商家に入れば、半紙、筆、墨を使わない(紙、墨が勿体ないから)、平皿に砂を張った物を使い、指で字を書く「手習い」と算盤は教わりました。勿論、親切から教えてくれる訳ではありません。書類が読める事と、計算が出来る事は商人として必須だったからです。
大久保利通と岩崎弥太郎を悪そうに描きすぎ
私は、幕末、明治維新の中で、「近代化日本」の青写真(近頃の子は分からんか?)を最も具体的に描いていたのは、大久保利通だと思っています。低い身分から引き上げてくれた、島津斉彬公から教育もされたでしょうし、強く影響もされていたでしょう。
大久保、海外視察の間、「勝手な事をするな」的厳命を残し、海運業を三菱・岩崎弥太郎に一任いたします。
ドラマ中では横暴の極みの様に描かれていますが、大久保利通が最も恐れたのは、商人らが「利」に転び、外国商人と隷属的関係を結んでしまうかも知れない事でした。
商人にとって、日本と言う国の形がどうであろうが、儲けに成れば良い。
その意味で、日本も商売人辺りは、「愛国心」希薄な者達も多かったのかも知れません。
隙あらば、日本のインフラを利用して植民地化を目論む諸外国
大久保利通が、岩崎弥太郎に、海運業を一任したのは、幕末、三菱がまだ海援隊だった頃からの付き合い。だけではありません。
日本の海運、陸運、電信、通信、金融の全てを、日本人の手で行わなければ、「僕らがやってあげようか」的、親切ごかしな西洋に牛耳られ、事実上日本が植民地化する事を恐れたからです。
実際、日本の海運業に関しては、イギリスが名乗りをあげていました。
当時の援助とは、所謂、「ひも付き援助」と言う物です。
ひも付き援助とは
国家間で財政援助がなされる際に,その条件として,開発用の資材・機材および労働力の調達先を援助供与国に限定するよう求めたもの。これにより供与国は国内産業を守り輸出も促進でき,結果的に援助支出を回収できることになるが,援助を受ける側にとっては産業育成の実が上がらず,援助を受けた意味合いも薄くなる。(「ことバンク」より引用)
【因みに】
現在の中国が、アフリカ諸国を中心に行っている援助や、高度経済成長期の日本が、東南アジア諸国を中心に行った援助も「ひも付き援助」でした。利益を渡す振りをして、その利益にはひもが付いてい居る。ひもを手繰れば援助側に戻る仕組みを比喩した日本語です。
【更に因みに】
アフリカ経済援助に、日本は中国に出遅れている。という報道がなされたりしますが、現代の日本は、援助金が戦争に使われない事。子供たちにちゃんと行き渡る事。等の条件付けを設けいてるために、中国に出遅れる形になっています。「出遅れている」だけの報道では、いたずらに日本の衰退をイメージさせるだけだと思います。
【岩崎弥太郎】
元は、土佐藩の「下横目」(幕府における「同心」)でした。武市半平太の組織した「土佐勤王党」における、参政・吉田東洋暗殺の下手人を追い、同僚の井上佐一郎(佐市郎)と共に、藩命、大坂に出るが、藩内が勤王派一色になった事を実感し、仕事に危険を感じて、単身土佐に帰ってしまいます。残された井上の方は、「人斬り以蔵」こと岡田以蔵に扼殺という形で暗殺されています。
岩崎弥太郎には時勢を見る目があったのでしょうね。その後、坂本龍馬の「海援隊」に入り、リードギターを担当…ではなくて、会計方を担当。「海援隊」は借金まみれという事実を知ります。
坂本が京都・近江屋に斃れた後、「海援隊」を引き継ぐ形になった岩崎は、隊の借金を完済すべく奔走。隊の名を「三菱」と改め、三菱財閥を経て、現在の三菱グループとなります。岩崎には商才がありました。
坂本龍馬は志半ばで、暗殺されてしまい、借金だけを残した形にはなりましたが、生き永らえていれば、坂本龍馬こそが三菱の創始者になっていた事でしょう。