麒麟がくる 続・第39回を観終わって #愛妻家 #光秀の妻 #麒麟がくる

麒麟がくる 続・第39回を観終わって

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オシドリは世間が思う程仲良しではない

前回、書こうと思って、忘れていたことがあります。
麒麟がくる」の中で、明智光秀の妻・煕子ひろこさんが亡くなりましたね。
明智光秀は、戦国大名としては珍しく、側室を持たなかった人として伝えられています。
光秀は、大変な愛妻家でしたが、織田家臣の同僚達から、
「なんで、あんな古女房が良いかね?」
と、心無い陰口を言われていたとも伝えられています。
煕子さんは、フルネームを「妻木煕子」と、言います。ご存じの方も多いと思いますが、日本は、明治三十一年(三十三年だった気もしますが)まで、結婚しても男女別姓です。
これは、東アジア全般の習慣でもありました。中国や韓国では今でも男女別性ですね。
現在なら、文化、習慣の違いで容認されるような事ですが、明治頃はまだ、ヨーロッパ列強と、対等に付き合うには、習慣や、文化を擦り合わせなければならない時代でした。
さて、光秀と同じく、側室を持たなかった大名として、知られているのが、石田三成が居ます。
三成も、愛妻家だったと言われています。
そして、薩摩の島津義弘。島津家では義弘に限った事ではありませんが、家法として、側室を持つ事はご法度だったそうです。戦国の世ではかなり珍しい家法でした。
戦国時代は人質要因やら、婚姻要因、世継ぎ、世継ぎスペア的に、子供が沢山必要だったので、側室を沢山抱えている大名は多かったのですが、明智光秀石田三成島津義弘は側室を持たなかったのは、大変珍しい例で、しかも、彼らは愛妻家だったと言われています。
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