近江・坂本氏 #坂本城 #琵琶湖 #坂本龍馬 #本能寺

近江・坂本氏

武田信玄は今週も決起集会を開いただけだった

いよいよ、明智光秀は、南近江・比叡山の麓、坂本に領地を貰い、坂本城を築きました。
織田家中で、最も新参者の明智光秀は、家来衆とはいえ、万石の大名格に出世しました。
それだけ、光秀が優秀だったのでしょう。
【近江・坂本】
坂本に領地を貰った明智光秀は、領地に見合うだけの家来を新規に募集し、その中に、坂本の地侍、坂本氏が居ました。坂本某の働き目覚ましく、明智家の桔梗紋を分けて貰うという栄誉を賜ります。
そうして出来た家紋が「組みあい角に桔梗」

坂本氏の家紋

幕末の風雲児「坂本龍馬」の家紋です。近江・坂本氏は土佐・坂本氏のルーツになります。
明智光秀が京都伏見に倒れた後、光秀の遺臣達を大量に迎え入れたのが、土佐・長宗我部氏でした。織田信長の、四国進攻を阻止しようとしてくれた事へのお返しでした。
しかし、その長宗我部氏も関ヶ原後には、改易されてしまい。新しく土佐に入ってきた山内氏の下では、坂本氏も郷士となります。
それで、そのまま、坂本龍馬に繋がるかと言うと、さにあらず。坂本龍馬は、近江・坂本氏の血は引いていません。
龍馬の血筋としては、高知城下でも指折りだった商家「才谷屋」になります。龍馬の祖父の代に、売りに出された、坂本氏の郷士株を買って武士となっています。つまり、坂本家は才谷屋の分家という形なり、才谷屋の裏手に家屋を建てています。郷士なので、藩から家屋を貸与されません。
江戸時代、侍株が売り出される事は、よくありました。安定を求める町人などが、株を買って、その家の養子となり後を継ぐ、もともとの家人は、株を売ったお金で、商人になったり土地を買って百姓になったりします。「家」を継ぐ形になるので、才谷屋ではなく「坂本」に成ったわけです。
大体は、生活の苦しい、下級武士の株位しか売りに出されてなく。商家の息子で、才覚の無い子の安定の為に、侍株を買う例が多かったようです。その意味で、龍馬のおじいちゃんは、商人としては才覚のない人物だったのかもしれません。
武田信玄は、今回も決起集会を開いただけでしたね。

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