平蜘蛛茶釜と信長政権の支持率低下 #平蜘蛛 #信長 #戦国 #安土時代

平蜘蛛茶釜と信長政権の支持率低下


【平蜘蛛現存説】
ドラマでは「古天明平蜘蛛」が、信長の手に渡りましたね。
「平蜘蛛」は落城焼失した信貴山城から掘り起こした説。本物は松永久秀の友人・柳生松吟庵なる人物に渡った説などが、あることは、あるようです。でも、いくら金物でも、城が焼けては、原型をとどめているとは考えにくいし、現存するなら信長亡き後、世に出ても不思議ではないと思います。現存してたら、写真でも良いから見てみたい。
【茶釜を権威に据えた演出】
でも、平蜘蛛を軸にし始めた展開は、ちょっと面白いですね。
物語の中で、光秀は信長に対し「平蜘蛛を持つ者は、志高き者、心美しき者であるべき」的な説話をしました。もし、実際にこんな会話をしたとしたら、信長なら多分「では、久秀は心美しき者だったか?」と聞き返したと思います。残虐非道を尽くした松永久秀が、心美しきとは思えません。「ならば、持つ資格が無かった。であるに、何故持っていたか?」的に畳み込んだと思います。
父、信秀の葬儀で「経文を唱えた所で、死者がよみがえる訳でもあるまい」と言うほどに、信長は観念論を馬鹿にしていました。(葬儀は、死者の為ではなく、遺族が納得する為のものですが)美術に理解の深い信長でも、茶釜が人より偉い的な物言いは、多分、気に入らないだろうな、と思いました。
ですが、久秀健在のころから執着していた「古天明平蜘蛛」です。いくら、光秀の講釈が癇に障ったとしても、売ろうとはしなかったでしょう。
「それは、それとして、光秀。平蜘蛛ってイイヨね。わしの茶室に置いたら、バエると思わない?」的に、結構はしゃいだのではないでしょうか。
【信長が支持率を下げた理由】
一にも二にも、謀略のアフターケアの欠如だと思います。
信玄VS家康の「三方ヶ原の戦い」に於いても、信長は援軍を送る気は、サラサラありませんでした。家康から「このまま、捨て殺しされるなら、我が方、武田に着くしかありません」と言われた為に、シブシブ、少しだけ援軍を派遣する事にしています。家康からすると「いずれ潰されるのでは」という恐怖はあったでしょうし、四国の長曾我部氏との同盟関係を、信長が一方的に破棄した時は「次は俺だ」という思いも強かったでしょう。
同盟者も家臣も道具としてしか扱わず、利用価値がなくなると平気で捨てる。しかも、周囲からは「吝いしわい(ケチ)」と言われていました。典型的サイコパス性格でしたが、同時に大英断が出来る性格でもありました。
時として、サイコパスな性格は、周囲に魅力的に映る事があると言いますが、後の世で人気ナンバーワンを続けていられる所も、典型的なサイコパスだったと思います。
【しかし、ドラマの「平蜘蛛」はダサイ】
「平蜘蛛茶釜」は、その風景が、蜘蛛が這いつくばる様に似ている事から「平蜘蛛」と言われたそうですが「美術さん」も、もう少しその辺りを考えて作って欲しかったですね。
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