伊賀甲賀 #真夏日 #猛暑 #視聴率 #大河ドラマ #家康 #信長

視聴率…どうする家康

信長は忍者そのものを嫌ったわけではない

いやー、暑いですね。
外回りが辛いです。
私は、大抵自転車で周るので、歩きよりは楽かもしれません。それに、現場も海に近い所が多いので、幾分涼しいかもしれませんね…実感はないけど。
昨夜の就寝には、家族全員「氷枕」を使いました。
視聴率どうする家康
大河歴代ワースト二位に低迷しているそうです。一位は「いだてん」の8.2%、「どうする家康」は10%だそうです。
まあ、確かに、ちょっとつまらない。無理に新しい切り口を作り出そうとしているところが、返って「あざとく」なっています。
駿河今川氏真殿に…
ドラマの中で、信長が「長年の労に報いて駿河の国をつかわす」的な事を言いますが、「駿河は未だ、氏真殿を慕う者多く…」家康はかつての主君筋今川氏に与えて欲しいと言います。
史実的に、こうしたやり取りはあったようですが、信長に欲深いと思われたくない家康は、辞退の芝居をいたしました。
信長という男は、こうした、白々しさには敏感で「いらぬのなら、わしに返せ」と言い、家康も慌てて「下さい」と言っています。
この駿河国の話は、当時の世間で「さりとても、信長公のしわいことよ」と囁かれます。
家臣ではなく同盟者であるのにも関わらず、金ヶ崎で最前線に置き捨てられ、東の抑えとして、こき使われ、武田に殺され掛け、死に物狂いの働きをしたのに、「その褒美が、僅か一国」と世間は観たようです。「国ひとつならソコソコではないか」という見方もあるかも知れませんが、それだけ、当時の人々から見ても、徳川家康の扱われ方は酷かったのでしょう。
まあ、全体的に織田信長はケチだったらしく、信長がシンパシーを感じていた松永久秀もケチだったそうです。
伊賀者
信長は甲賀者を使い、伊賀者を嫌ったと言われます。理由として「奴らは幻術目くらましを使う」などと言われています。確かに、伊賀者は催眠術や奇術トリックをよく使ったようです。隣の甲賀者は薬物に精通していた様です。
信長の家臣の一人、滝川一益甲賀者の出身で、徳川家における伊賀者・服部半蔵ような立場でしたが、半蔵と違ったのは、軍を采配する能力が高い所でした。
世にいう「伊賀攻め」は信長よりも、その愚息・信雄(のぶかつ)の方が積極的で、且つ失敗を繰り返しました。
伊賀・甲賀の「忍者」とは、所謂傭兵で、織田の配下にならないために、攻めたようです。甲賀者も傭兵ですが、滝川一益を通じて、ほぼ、織田家のお抱えになっていました。この点においても、徳川家の服部半蔵と似ていますね。
他に、織田配下になる事を嫌った傭兵集団は、紀州の鉄砲集団「雑賀衆」が居ます。雑賀の近所の「根来衆」は甲賀と似た経緯で、半ば織田お抱えとなり、設楽原では活躍致しました。
しかし、この猛暑おじさんには、こたえますね。最近「養命〇」を飲み始めましたが、効いているのかとうが未だわかりません。みなさんも、ご自愛くださいませ。
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