金ヶ崎の退き戦 #足利義昭 #信長 #家康 #福井 #金ヶ崎 #秀吉 #明智光秀

どうする家康「信長の上洛」「金ヶ崎の退き戦」とりあえず見ています


ドラマなので、どう描くかは作者の自由なのですが
室町幕府最期の将軍、足利義昭が愚物に描かれ過ぎて、ちょっと可哀そうでした。
後に義昭は、全国の大名に密使を遣い「信長包囲網」を完成させます。確かな地図のない時代に、あれだけの包囲網を完成させるのは、なかなか難しかったでしょう。
側近の細川藤孝のちを見ても、藤孝らの戦略眼とも思えず、義昭には戦略的資質は結構あったのではないか? というのが、私の見方です。義昭の不幸は、自軍を編成するだけの財力がなかったところだったでしょう。
朝倉攻め会議に秀吉はまだ
秀吉が織田家中で本格的に出世したのは、「墨俣の一夜城」からではなく「越前国・金ヶ崎の退き戦」…撤退戦で「殿軍しんがり」(「でんぐん」とも読む)を務めた後でした。死亡討ち死に率の高い殿軍を名乗り出た秀吉は、織田家中で認められるための、文字通り「命がけ」の博打に出たように思います。
これから、越前攻めに出るという段階で、ドラマにあったような、会議の進行役的振る舞いは、まだ出来なかった様に思います。ましてや、信長の同盟者であった家康に対して、立ったまま、上から目線で物は言えなかったでしょう。
秀吉は晩年が影響して、近年のドラマ等で、腹に一物ある、なんか嫌味な人物に描かれる事が多いですけど、往年の秀吉の性格は明るく、経済や他人の心に明るい人物であった様に私は思っています。
明智光秀
信長より年上でした。六歳、もしくは、十八歳年上だった説がありますが「酒匂 芳」さんでは、ちょっと年が開きすぎな気もします。ゆうても、「岡田准一」さんとは二十二歳違うらしいので、まあ、ギリ良いのかな?
しかし「金ヶ崎」の退却戦では
酷いことに、信長は、最前線の徳川家康に知らせる事なく、退却を始めます。逃げ遅れた家康が退却する途中、朝倉軍を迎え撃とうとする秀吉軍と遭遇。その必死の形相を見て、秀吉軍共々殿軍を務めようと決めます。さらに、明智光秀も秀吉を哀れと思い引き返し、殿軍に参加します。
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