幕末の江戸言葉 #関西弁 #関東弁 #ど真ん中 #井伊直弼

大河ドラマ「青天を衝け」第十二回を観終わって

※私はNHKの民営化と
 BSチャンネルからの即時撤退を願います


【ドラマだから仕方ないけど】

栄一の抜刀姿勢が良くない

江戸の番所(?)内で、円四郎相手に、抜刀しようとする場面がありました。
栄一の手挟んでいたのは木刀でしたが、柄に手を掛けた時、肘が前に出ていました。
あれでは、円四郎の用心棒に、先ず肘を撃たれていたでしょう。(エラソー)
【「ど真ん中」は関西弁】
円四郎が「ど真ん中」と言う言葉を使いましたが、「ど真ん中」は関西弁で、幕末の江戸ではまだ使われていませんでした。江戸弁では「真の真」、「真ん真ん中」と言っていたと思います。
他に「美しい」「大きい」等も関西弁で、幕末の江戸では使われていませんでした。「綺麗」「でかい」と言っていた様です。
【大百姓とはいえ、幕府の相関関係を良く知っている】
しかし、喜作は、将軍家の相関関係を良く知っていましたね。
大百姓は、本をよく読んでいましたし、情報も良く集めていたので、まあ、不思議ではありませんが、あの時代では大したものです。
【江戸時代の家族は逞しい】
我が子、我が夫が、場合によっては命を落とすかもしれない。そんな場に向かおうと言うのに、渋沢一族は涙ながらにも「ご本懐を遂げてください」「道理を踏み外すな」として、送り出しました。諸国でも、志あるものが次々と脱藩していた時代でしたが、栄一らの様に百姓身分だったために、家族に見送られるというのは、まだ幸せな方だったのかもしれません。
正規武士だったら、脱藩そのものが重罪。残された家族は、給与をはがされ、藩から貸与されている家からも追い出される。要するに「完全失業」という惨めな思いをしていました。
その意味で、半農とも言える「郷士」身分の家族は、脱藩しても正規武士の家族ほどミジメでもなかったかも知れません。
坂本龍馬」の場合も、本家、実家はひどい目に遭っていませんし、龍馬本人、脱藩後も何かと本家・才谷屋から経済支援を受けていました。
新撰組の「近藤勇」「土方歳三」らも、脱藩とは少し違いますが、京に上ってからも、日野に住む義兄・彦五郎から経済支援を受けていましたから、正規武士サラリーマンの脱藩は、なかなか辛かったでしょうね。
【来週は、いよいよ慶喜公に仕えるんでしょうか?】
予告では、侍髷に結い直して京の町を闊歩していましたね。
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