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渾名禁止(ニックネーム禁止)


学童の居るご家庭なら、結構耳にされる事も多いとおもいますが、最近の学校では、「渾名あだな」が禁止なんですね。
理由は「付けられた渾名が嫌だと思う人もいるから」なんだそうです。
あと、名前の「呼び捨て」や「君付け」も止めましょう。という動きになっているそうです。
これは、男女差別や、見下げる感じの「いじめ」に繋がるからだそうで、男女年齢差に関係なく「さん」付けで呼びましょう。らしいです。
うーん、ちょっと世も末な気持ちにさせられるのは、世代的な偏見なんでしょうか?
渾名に関しては、学校のトイレで一度だけ大をしただけなのに、以来「ウ○コマン」とか呼ばれたりする子もいて、それは確かに屈辱的で嫌だと思います。しかし、逆に足が速くて「韋駄天」(最近は言わんか?)なんて呼ばれて、嬉しい場合だってありますね。
管理し易いから「全面禁止」なんでしょうけど、面倒でも、「この渾名は嫌だ」という事象毎に対応した方が、ただ漫然と「渾名は駄目らしいよ」と思うより、当人たちも問題に真摯に向き合える気がします。
「名前の呼び捨て禁止」も、親しい間柄なのに、心に距離を持ちすぎる様な気がして、なんか寂しいし、一概に否定はしませんけど、賛同までは出来ない感じです。
「君」とは陽明学の平等思想が由来
幕末物の歴史ドラマを観ていると、「土方君」とか「坂本君」と呼ぶ場面がよく出ます。
江戸時代なんだから、「土方殿」とか言いそうですが、幕末に儒教陽明学」が流行し、その中の「人はみな平等」という思想から、平等を現す「君」付けが流行りました。
しかし、現在では、同い年もくしは年下に使うモノという感じですね。
私も、もし年下に「子育て君」なんて呼ばれたら、「なにおう!」と思っちゃうでしょう。
慶應義塾大学などでは、幕末の名残で、福沢諭吉さん以外、教授陣から学生まで「○○君」と呼ぶことが習わしになって居ますね。掲示板などにも「○○君(教授)の講義休講」とか、貼り出されているそうです。
要するに、「君」は人皆平等を現す言葉である。なんて事はどうでもよく、現代では、「さん」の方が、相手を敬い、より平等に感じる人が多いから、という所なんでしょう。
我が家の倅も、これらの「お達し」には、少し窮屈を感じているようですが、もう直き卒業だから良いそうです。
因みに「陽明学
王陽明という明代の儒学者の思想です。キリスト教や仏教の「宗派」の様なもので、儒教の中の一つの考え方です。
「人皆平等」という考え方は素晴らしいのですが、一方で「感情こそが、もっとも純粋ピュアである」という考えもあります。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りで、犯行後の赤穂四十七士をどう遇するか、という裁判では、儒学者朱子学派(唐代に南宋の「朱熹」によって確立された)と陽明学派で議論されました。
共に仇討ちを果たした事自体は「武士の誉れ」といたしましたが、陽明学派は「主君の切腹から、二年も待った(計画した)事はあざとい」と批難します。
「目の前で主君が討たれたら、例え無腰素手であっても、泣きながら武者ぶりついて行く事こそが純粋な行いである」と致しました。
まあ、赤穂浪士の討ち入りそのものだって、「仇討ち」と言うにはかなり無茶な振る舞いで、失業者の逆恨み的要素も強く感じられます。だから、後のお芝居なんかでは、吉良上野介を厭味ったらしいクソジジイに描く必要があったんでしょう。
同じ儒教である朱子学にも、感情論を重視する考えはありますが、陽明学はもっと強烈な感情論重視主義ではあります。
余談ですが、この、儒教の根底にある、感情論重視主義が、日韓関係を何十年経っても全く前進させない最大の要因だと、私は感じております。
儒教の祖、「孔子」は地方地方の豪族達を結束させない、経済を豊かにさせない方法として、山東省の地方宗教だった儒教を体系化させた一面はあります。
また、お話が脱線いたしましたね。
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