袴田巌さんの無罪判決事件から思う事 #袴田 #冤罪 #捏造

袴田巌さんの無罪判決事件から思う事

日本では起訴されると99%有罪になるそうですね

袴田事件

1966年に静岡県静岡市で起きた、一家四人強盗殺人事件の犯人とされた事件。
住み込みで働いていた、味噌製造会社社長家族が強盗殺人に遭っていた事を知らず、社長宅の出火(放火された)を消し止める為に、パジャマ姿のまま駆けつけました。
倒れている社長家族四人を、助け様としたときに付着したパジャマの血から、警察に「あいつが犯人だ」という方針眼目を立てられてしまいます。
当時から、袴田さんの犯行とするには無理がある。と言われていたそうですが、事件から一年後、警察は、ついにやってはならない事をしてしまいます。
味噌樽に隠してあったとされる、血糊の着いた衣服が発見されます。
一年も味噌に漬かっていた衣服にしては、味噌も染みついてなく、血も鮮やかである事から、捏造された証拠と言われました。しかも、味噌漬けで縮んだにせよ、袴田さんの身体には余りにも小さすぎる衣類でした。
判事の中にも、証拠は捏造されたモノだと思って居た方も居られましたが、亡くなる直前に初めて吐露された方もおられました。
しかし、恐ろしいのは、一度、証拠を捏造してしまうと、もう後戻りは出来なくなってしまう所ですね。
2024年の現在
「さすがに無いだろうな」とは思いたいですが、警察の見込み捜査と言いますか「こいつに違いない」「こいつに決めた」的な捜査方針は、二十世紀末までは結構多かったように思います。

「松本サリン事件」1994年

一番最初に被害に遭い、通報した男性が、犯人として疑われました。
疑われた理由が、サリンに倒れた奥さんに付き添って病院に居た男性。駆けつけてきた息子さんとの会話の中で「笑顔を見せた」瞬間があった。という事でした。
警察は「あいつに違いない」として、男性を尋問しますが、物証が無い。
噓発見器(ポリグラフ検査)に掛けても、何も出ない。
「デカ長、あいつですよ、あいつに間違いないですよ」
「…しかしなぁ、ポリ検でも何も出なかったんだ」
「あいつです。必ず落として見せます」
正確ではありませんが、この様なやり取りがあったらしく、担当刑事は取調室でこう言います。
ポリグラフ検査で出たよ(嘘が)…○○の所(箇所)で…」
やってはならない、ハッタリでした。
この一言は、男性を犯人に持って行かなければ、収拾がつかなくなるはずの一言でした。
「そんな訳ないですよ。では、見せて下さい、その、ポリグラフの表を」
という男性に、刑事は不適に笑うだけで、ポリグラフの検出結果を見せる事はなかったそうです。
そして、幸か不幸か、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生し、「松本サリン」はその予行演習であった事が分かります。
男性の無実は証明されますが、もし「地下鉄サリン事件」が起きなければ、警察のハッタリから男性は犯人にされていた可能性はあります。

足利事件」(足利連続幼女誘拐殺人事件)1990年

栃木県足利市内の女児が誘拐され、市内を流れる渡良瀬川河川敷に全裸死体で発見された事件です。
警察は、「犯人は独身男性で子供好き」というプロファイリングから、「容疑者の一人」として幼稚園バス運転手の男性を捜査。運転手男性には前科も前歴も有りませんでしたが、勤務先への聞き込み捜査が原因で解雇されてしまいます。
その後、女児遺体から発見された体液DNAと、運転手男性のDNAが一致したために犯人として自白を強要されますが、当時(1990年)はDNA鑑定による捜査は始まったばかりで、その精度も低く弁護側も信憑性に欠けると致しましたが、男性には無期懲役の判決が下ります。(この判決は、証拠に自信がない現れと私は観ます)
弁護側はその後も、精度の上がったDNA再鑑定を要求しますが、再鑑定が認められたのは、なんと2008年で、「DNAは全く別人のもの」という鑑定に至ります。
男性は無実が証明され釈放されますが、釈放時点で二十年近くも服役していた事になります。
因みに、事件は真犯人も分からないまま、時効が成立しています。

ポリグラフ検査

現在では、先ず使われないそうです。
緊張症の人には反応が強く、逆に超サイコパス的性格の人には、全く反応が出ない事もある事から、的中率も80%と低く、「ポリ検は、結局、緊張発見機」なんて言われているそうです。
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