日航機123便墜落事故から39年 #御巣鷹山 #日航機123便

日航123便墜落事故から39年

二日遅れですが

日航123便の墜落事故(事件とする向きもある)から、もう39年も経つんですね。
あの日、私は仕事から帰って、仮眠をとった後でした。
目が覚めてテレビを点けると、日航機の墜落事故の報道一色になっていた事をよく覚えています。
寝ぼけてもいましたから、一瞬何が起きたのか良く分かりませんでした。
歌手の坂本九さんも乗っていたと聞いた時、特にファンという訳でもありませんでしたが、やはり大変なショックを受けたものです。坂本さんは、かつてのマネージャーが大阪のどこかの市議に立候補。その応援の為に乗った大阪行きの飛行機でした。しかも、本当であれば、前日の広島での仕事から、直接新幹線か車で大阪入りする予定が、急遽代理の司会の仕事が入り、強硬的に東京に帰り、その仕事を済ませた後でした。
他にも「明石家さんま」さんも、大阪の仕事で乗る予定だったそうですが、当時の人気番組「俺たちひょうきん族」の収録が押したために乗り遅れ、やむを得ず新幹線で大阪に向かい、大阪のラジオ局で自分の乗るはずだった日航123便の墜落を知ることに成ります。
「さんま」さんは、ご自身の実母との死別、異母弟(実際は再婚した継母の連れ子)の夭折などを経験し、命の尊さを良く分かってらっしゃる様で、
「人生はな、生きとる。それだけで丸儲けやねん」
という実感を持ってらっしゃいます。
そして、周囲に反対されながらも、実の娘さんに「生きてるだけで丸儲け」=「いまる」と名付けられたそうです。

あの事故で

当時九歳の少年が、たった一人で乗っていました。大阪の親戚までの一人旅。初めての飛行機だったそうです。僅か九歳。生きていれば四十八歳。社会の中心的世代だったでしょう。
近しい人と喧嘩をしたまま、乗ってしまった人も居ました。
どちらのご遺族も、ご遺族のせいではありませんが、後悔が残られているそうです。
だから…という事もあって、私は…我が家では、家族を送り出すときは必ず、玄関まで送って、必ず笑顔で送り出し、私も送り出される時は、必ず笑顔を返すようにしています。
年を取ったせいもあるでしょうけど、あの航空機事故で亡くなった方、遺された方の気持ちを思うと切なくなります。
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