万能将軍「徳川慶喜」 #徳川慶喜 #幕末 #最後の将軍 #ラストジェネラル

万能将軍「徳川慶喜

徳川慶喜

始まりました。2021年度大河ドラマ。前作「麒麟がくる」はコロナ他の事情もあって、安普請な印象でしたが、今作はなかなかお金のかかった作りでしたね。まあ、いつも第一回は、豪華なものです。しかし、小林薫さんは、お元気でしたね。受信料払ってるから、と言う訳でもないですが、まあ、観てゆこうと思います。
徳川慶喜
最後の将軍(ラスト・ジェネラル)こと、「徳川慶喜公」は、聡明かつ器用な方で、多趣味でありました。刺繍や裁縫、将軍の立場であれば、侍女・執事がやりそうなことから、乗馬、弓、剣術の他、打毬ポロ等のスポーツや絵画・写真、その他学問。なんでもできる方でした。
聡明であるが為に、政治的離れ業ともいえる「大政奉還」を受け入れる事も出来、自分の政治的価値が分かり過ぎている程、理解出来ていたので、鳥羽伏見の戦いでは、大坂から江戸に逃げ(この辺りの解釈は色々あります)、維新後も駿府(静岡)に隠棲し、政治絡みの相手には、旧臣下の者であっても会う事をしなかったと言われています。
慶喜公投網を買う】
その慶喜公が、ある時、供の者を連れ、馬でもって品川宿だか目黒だかに、遠乗りされた時の事。
当時は、今と違って、品川も目黒も浜辺の漁師町。漁師が海に向かって投網を打っていました。
見事に広がる投網を見て、慶喜公は、
「そちの投網は、見事なものだが、一体、どれ程の修行で出来るモノか?」
と、漁師に尋ねます。
「さて、三年程は掛かりましょうか」
そう答えた漁師から、投網を買い取ると、お城に戻って投網の練習を致します。
そして、三か月後。件の漁師の元を訪れて、見事に投網を打ってみせます。
「そちは、三年と申したが、三月もかからなんだ」
漁師の言った三年とは、もっと細かいノウハウを含めて、の事だったんでしょうけど、にしても慶喜公は三月足らずで極めてしまいます。実証主義でもあったんですね。
【静岡がお茶の産地になったのも慶喜公のお陰】
時代が明治になり、慶喜公が静岡に隠棲した時、護衛として何人もの家来、執事が付けられました。しかし、慶喜公を狙う輩もなく、護衛達は暇を持て余します。
静岡に隠棲した慶喜公は、写真等に凝っていた頃で、同時にお茶の栽培に夢中になっていました。それまでお茶といえば、日本では京都の宇治だけでした。
「茶」は本来、亜熱帯植物で、温かい土地でないと育ちません。
静岡は温暖な地域で、戦国時代、同じ亜熱帯植物の「綿」の栽培に成功しています。
「であれば、茶の栽培も可能ではないか」と考えた慶喜公は、見事茶栽培を成功させます。そして、護衛衆にも、お茶の栽培を推奨。販売に至るまでのレベルに押し上げた。と聞きます。
【茶。te、cya、tea】
「茶木」の故郷は、中国の福建省になります。福建省では「茶」を「テ(te)」と発音しますが、これが、日本に伝わって「茶(cya)」と訛って発音され、英国に伝わって「ティ―(tea)」と訛って発音されました。
【打毬(ポロ)】
乗馬で行う団体球技で、世界最古の競技の一つです。発祥は紀元前6世紀のペルシャ(現在のイラン)。騎馬隊の軍事訓練としてペルシャ→インド→中国→日本と伝播し、現在でも神事としての打毬伝統が残っています。ポロと言えば、イギリスのスポーツというイメージが強いですが、英国に伝わったのは、インド植民地化以降です。
因みに、現在、一般的に着られているポロシャツですが、乗馬スポーツの「ポロ」で着用する服が一般化したものです。

ポロは乗馬を伴う為、競技人口は少ない

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