水島新司さん逝く #水島新司 #ドカベン #あぶさん #野球狂の詩

水島新司さん逝く

f:id:kosodatehiroshi:20220117203511j:plain
水島先生は「野球漫画しか描かない」と宣言した事があります

本当は、「コメディ大河 鎌倉殿の13人」の記事を書こうかと思っておりましたが、水島新司さんの訃報が入ったので、水島新司さんについて書きたいと思います。
1月10日に肺炎で亡くなられていたんですね。
82歳。亡くなられたとしても、不思議ではない年齢でいらしたので、残念ではありますが、仕方のない気持ちではあります。
ただ、「さいとうたかを」さんに続いて、漫画創世期を築かれたお一人に逝かれると、本当に寂しい気持ちになります。
ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」「男どアホウ甲子園」等々、キャラクターの描き分けの上手い漫画家さんでした。
月並みな事しか言えませんが、ご冥福を心よりお祈りいたします。
漫画創世期
NHK等の特集番組の再現映像では、まるで「小学館」と「講談社」が少年漫画を作り出し、創世期を争ったように描かれますが、少年漫画は大阪から始まった。と言っても過言ではありません。(日光にあるのは華厳の滝)
大阪の「日の丸文庫」「東光堂」や東京の「日昭書店」「明々社」等、小さな漫画専門会社が、少年漫画というジャンルを築き上げました。
手塚先生が、まだ、大阪で漫画を描いておられた事もありましたが、創世期の漫画家さん達は、大阪の方が仕事のある時代でした。
水島新司さんや、影丸穣也さん、紙芝居時代を経て漫画家になられた、水木しげるさんも、1950年代末まで、関西に拠点を置いていました。
東京からスタートした、「ちばてつや」さん等も、漫画家になった当初は、小さな出版社しか無かった事を自身のエッセイ漫画「ひねもすのたり日記」に描かれております。
漫画は儲かる
という事が分かり始めると、1959年に「小学館」「講談社」という大手が、資本力にものを言わせて、漫画家たちを買いあさり、現代に至る「少年サンデー」「少年マガジン」を立ち上げてゆきます。1960年代に入ると、小さな漫画出版社は次々に潰れ、漫画家さん達は挙って東京を目指すようになりました。現在、少年漫画創世期の唯一生き残りは、「明々社」現在の「少年画報社」のみですね。
ドカベン
水島漫画は、私も沢山読みました。
ドカベン高校野球編」が特に好きで、「高知県代表・土佐丸高校」のエース「犬飼小次郎」の渾名が「鳴門の牙」。
「鳴門は徳島県やないかい」
読みながら、突っ込みを入れた事を思い出します。
この記事が面白いと思ったら、ブログ村プロフィールをポチしてください
PVアクセスランキング にほんブログ村
子育てヒロシのオフィシャルブログ - にほんブログ村