ザックリ「稲」の話 #稲 #米 #物価高 #値上がり #キムチ #エルニーニョ

ザックリ「稲」の話

お米も値上がり

「米は値上がりしない」
かつて、経済学者の森永卓郎さんが言っておりました。
事実、言っておられた当時は、諸々、物価高騰する中、お米だけは値段据え置きでしたけどね。
それが、この三月位から、値段が上がり、六月の今、テレビ等でも、堂々と米の値上がりを報道しています。
主な理由としては、昨年の猛暑。
夏の気温が高くなって、「稲の実が焼けた」と言われています。
しかし、皮肉なものですね。
「稲」って、元は熱帯植物なのに、日本の猛暑にやられるなんて。
稲は本来寒さに弱く、1993年の寒い夏には「稲が冷害にあった」なんて騒ぎもありました。急遽タイ米を輸入しましたけど、失礼にも「タイ米はマズイ」なんて、しきりとテレビでも貶していましたね。いくら、お金を払っているとはいえ、助かったわけですから、「マズイ」と宣伝するのは、失礼です。

良い子向け、ザックリ「稲」の話

この夏は、米の品種改良で、「暑さに強い稲」も登場すると聞きましたが、
「それって、先祖返りじゃないの?」
と、少し思ってしまいます。
そもそも、稲は熱帯植物。発芽から実りまで、四か月周期の為、熱帯地方では、年に三回も収穫が望めます。
日本でも栽培されるようになったのは、日本も「夏」であれば、稲も栽培出来ることが分かったからです。それでも、当初は、西日本と東海地方位でした。夏にしか栽培できないので、日本で野生の稲が自生する事はありませんね。
「寒い地方でもなんとか稲作は出来ないものか」
という訳で、始まった品種改良ですが、原理そのものは至って簡単。
わざと冷水で育て、その中で生き残った稲だけを大切に育て、少しずつ寒さに慣らした品種を作り出します。勿論、掛け合わせもしますが、寒さに強い品種は、基本、こうして作られます。
これを何世代も重ね、日本海側や東北地方でも稲は栽培されるようになり、現在では、北海道でも「ゆめぴりか」という品種で稲作が可能になりました。
ほんの、数十年前まで、北海道での稲作は無理と言われていたものです。
似たような経緯で、中国でも、かつては揚子江を境に、北では稲作は難しく、北京周辺で稲作が可能になったのは極最近の事です。
上海料理北京料理山東料理に、元々「お米料理」が無い所を見ても、稲作は割に最近の事だと思います。
朝鮮半島でも、かつては南部で稲作が出来ていた位で、韓国が「米自給率100%達成」を発表したのは、1998年、金大中政権の時でした。
緯度的にも、半島の殆どが、日本の栃木、茨城より北で、割に寒く、しかも空気の乾燥した地域です。
因みに、韓国に風呂という文化が無かったのも、空気が乾燥しているため、行水か、濡れタオルで身体を拭く程度で済むからでした。日本時代に、ソウル等で日本文化の銭湯が登場します。
こうして、考えると「稲」が、中国大陸を北上し、寒い寒い、北京や山東半島等を我慢しながら通過。中々に寒い朝鮮半島を経て、日本に渡って来たとは考えにくいでしょう。
おそらく、稲作は、揚子江以南の地域から、海流に乗って日本と、半島南部にもたらされた。
と私は、考えています。
その「証拠」という程でもありませんが、半島西南部には、本来、揚子江以南にしか生息しない「闘魚」(和名:チョウセンブナ)が生息しています。
恐らく、海流に乗って朝鮮半島にもたらされたと思われます。
現在、日本の岡山や新潟に生息している「闘魚」は、日本時代に半島からもたらされたと考えられています。因みに、江戸時代の朝鮮通信使が将軍への献上品のひとつとして「闘魚」を献上していますね。繁殖期や喧嘩の時に、美しいトラ模様になるので、李氏朝鮮では高級観賞魚として扱われていました。

余談

チョウセンアサガオと言っても朝鮮由来ではない。
唐辛子といっても中国渡りではない。
アメリカ人の愛妾であっても「唐人おきち」というが如し。

朝鮮何々、唐何々と言うのは、「舶来」という程度の意味で、必ずしも原産国、渡来国を表したものではありませんでした。勿論、原産国を表した場合もあります。(例として、朝鮮人参:朝鮮半島からシベリアに自生)
チョウセンアサガオも原産地としては、アメリカ大陸説が有力で、1600年代オランダ経由でもたらされています。
唐辛子も戦国時代。南蛮人と呼ばれた、ポルトガル人が「芥子」等と共に、もたらし、日本から大陸、半島に渡っています。
半島には「朝鮮の役」で寒さ対策に、手袋や足袋の中に唐辛子を入れて居たものが、蒔かれる形になり繁殖。(一部、韓国の右方面では「逆」と言い張られている)

キムチ余談

中国と韓国の間で、「キムチ発祥は我が国だ」という争いがあります。
私も子供のころから「朝鮮漬」(現在は禁句?)として「キムチ」には馴染はありますので、
「いや、半島発祥でしょう」
と思うのですが、中国側の言い分にも、一理はあるかも知れません。
元々、キムチの原型は、半農半牧の満州族からもたらせられました。主原料の白菜そのものが旧満州原産で、半島に伝わります。
ここまでは、韓国も認めている所です。
「朝鮮の役」頃までは塩漬けの、酸っぱいキムチでしたが、唐辛子の出現で、現在の「キムチ」となります。
ですので、うーん、唐辛子を使った時点で、全く別の漬物になったと見た方がよいのではないでしょうかね? まあ、漢族由来ではないのは確かなようですけど。

ともあれ

日本の夏を暑くする、太平洋中央~南米沖の「エルニーニョ現象」も収束を迎えると言われていますので、今年のお米は豊作になるかもしれませんね。そう願いたいです。
この記事が面白いと思ったら、ブログ村プロフィールをポチしてください
PVアクセスランキング にほんブログ村
子育てヒロシのオフィシャルブログ - にほんブログ村