戦国の梟雄・松永久秀 #松永久秀 #毛利元就 #織田信長 #戦国時代

戦国の梟雄・松永久秀

織田信長は茶器が大好きだった

特に、これと言った感想はないですが、叡山に居た女、子供を逃がしてやったのは、明智光秀以外にも、木下藤吉郎なども逃がしています。二人とも、その辺は優しかったんですね。
「皆殺し」は信長にとっては、政治的意味は大きかったでしょう。しかし、家臣、光秀、秀吉らにとって、皆殺しは気持ち的に辛かったのだと思います。
ドラマでは「あれが出来なければ天下は取れぬ」的な、話を、松永久秀と光秀がする場面がありましたが、光秀はともかく、松永久秀なら平気で、同じ事が出来たと思います。
「叡山焼き討ち」で覚恕は、甲斐・武田信玄を頼りますが、当初、信玄は、
「なんなら、いっそ、延暦寺を甲斐に建立しますか?」
と聞いてたりしています。
覚恕にしてみれば、比叡山という立地が大事な訳なので「ノー・サンキュー」と答えています。
しかし、まあ、遂に信玄が上洛を決意しましたね。
来週は「三方ヶ原」とかの場面ってあるんでしょうか? 

松永久秀

上司(信長)と共通する審美眼を持っていました。茶道に通じ、名器「天明平蜘蛛こてんみょうひらぐも」(茶釜)をはじめ「価国あたいくにひとつ」と言われる、名品を沢山持っていました。
信長に「大悪党」(将軍殺し、東大寺の放火等)と言わしめ、お城に初めて天守閣をデザインしたのも、松永久秀と言われています。それを見た信長らが「あれ、いんじゃね?」的に真似をして行き、その後、お城に天守閣は、当たり前のようになってゆきます。この辺りも、上司、信長と趣味嗜好が似ていますね。
梟雄きょうゆうと言われた、松永久秀ですが、医学にも精通し、一年しか生きられない鈴虫(現在のマツムシ)を飼い研究。鈴虫にとって良い環境を作り出すことで、三年まで寿命を延ばしています。
「自分は他人の三倍生きて、天下を取る」と左右の者に言っていたと聞きます。
鍼灸にも精通し、ちょっとした怪我等は、自らツボに灸を据えて治療していました。
また、性交に対する研究にも熱心で、現代風に言えば「オンナのイカせ方」みたいな、カッパブックス辺りから出そうな本まで残しています。なかなか、才能多彩なおじさんだったんですね。
戦国時代、医学に精通していた武将といえば、徳川家康毛利元就松永久秀辺りが有名です。
この松永久秀、三回も信長に反旗を翻しますが、許されています。徳川信康の件など、ちょっと疑いを持てば、許さない信長にしては珍しい。久秀にそれだけ、利用価値があったとも言えますが、案外「あのオヤジとは趣味が合うんだよなぁ」という所が、あったのかも知れません。三度目の謀反の時も、信長は「古天明平蜘蛛くれたら許してあげる」みたいな、条件を出しますが、久秀は拒否。
天明平蜘蛛に火薬を詰め、爆死したそうですが、爆死する前に「あ、今日のお灸忘れてた」といって、頂点(頭の天辺)にお灸をした後に爆死した。という逸話があります。
松永久秀の爆死に関しては「いや、切腹だった」という説もありますが、いずれにせよ、古天明平蜘蛛を道連れにした事は事実の様です。

汝窯茶寵・小猪
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[麒麟がくる] 第34回 まとめ | 焼討ちの代償 | 5分ダイジェスト | NHK

クラスターで思い出す事 #クラスター #コロナ #感染

クラスターで思い出す事

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集団感染

クラスタ集団感染で思い出す事。
長年勤めた編集会社が倒産し、結婚式場ベースのイベント会社に転職した頃の事です。
同期に、N沼君という、関西の先物取引会社から転職してきた男が居りました。
自称、元・トップセールスマンという男でしたが、トップを張っていたという割りに「オーラ」という物がありません。普通、トップもしくは、トップに近い成績を残しているような人間であれば「自信」というオーラがあるものです。
我々企画部は、イベントを企画する事が本業でしたが、宴会などを取って来てもOK。N沼君は、企画を立てる事はできなく、もっぱら宴会などを取りに営業に廻っていましたが、営業方法の効率が大変悪い。
小さい会社が入っているような、雑居ビルの最上階から下に向かって、飛び込み訪問し、兎に角名刺を貰う。セキュリティーの厳しくなった、現在、先ずやる事はない方法ですが、昔は、よく営業研修の度胸付けでやっていたものでした。彼は、毎日電車で出掛けては、名刺をもらって歩き、返ってくると総務でハガキを貰い、手書きでお礼状を出す。
「今日は、百枚ハガキ書きましたわぁ」
満足そうに言うのですが、それが、利益に結び付かない。そりゃあ、そうでしょう。いきなり飛び込みでやってきて、ちょっとした自己紹介の後「兎に角名刺ください」という程度の営業ですから、興味を持って貰える確率は低い。経費と労力ばかり消耗して、ほとんど意味がない。
私は、こうした営業の場合、ファックスを利用していました。挨拶と会社概要、要件を書いてファックスすれば、会社に居ながら営業を掛けられますし、要件をA4一枚くらいに纏めれば読んでもらえるうえに、興味のある会社からは連絡が来ていました。その後の営業が楽になるので、私の場合、奇をてらう時以外、滅多な事で飛び込み営業なんてした事はありませんでした。いわゆる営業は苦手でしたしね。何より、イベントの企画を立てる方が面白かったし、当たれば宴会などよりも、はるかに収益も大きいものでした。
前置きが長くなりましたが、そんなこんなで、ちょっと大きいイベントを企画し、毎日準備に忙しかった頃に、N沼君が風邪を引いているのに出社して来たことがあります。
感染させられたら迷惑だったので、帰って休むように言ったのですが、
「いや、大丈夫っス!」
といって、帰ろうとしません。
「いや、沼ちゃんの事を心配してるんじゃなくて、感染うつされたら迷惑だから」
それでも、帰らない上に、当時は、風邪位で休むものではない。という風潮もありましたから、会社も特に注意をしませんでした。N沼君もそうした教育を受けてきた一人だったんでしょう。
連日の準備で疲れ切っている身体に、案の定、私を始め集まってもらった、イベントスタッフに風邪が蔓延してしまいました。
連日テレビでクラスターの言葉を聞くたびに、N沼君の、
「大丈夫っス!」
が思い出されて仕方ありません。

医薬品・指定医薬部外品

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麒麟が来る「第34回」武田信玄はやっぱりゴリゴリ漢系 #武田信玄 #石橋凌 #信玄餅 #麒麟が来る

有名な、でっぷり肖像の方がイメージとして使われるようです。

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武田信玄

1571~1572年頃のお話になるので、信長包囲網の切り札として「武田信玄晴信」が登場しますね。
やっぱり、武田信玄肖像として有名な、肥大漢、武田信玄が登場するみたいです。
石橋凌さんが演じますから、ホント、ゴリッゴリな武田信玄になりそうで、楽しみです。

1571年に中国の毛利元就、関東の北条氏康が相次いで亡くなり、武田信玄は北条と同盟を結び、上洛を開始。
途中、三方ヶ原で徳川家康を破り、野田城を落とした後に、病没します。
あまりにも、絶妙なタイミングだったので、織田信長に運があるのか、はたまた暗殺か? 等、囁かれています。
毛利元就は75歳で亡くなりましたが、北条氏康は57歳、武田信玄は52歳で亡くなっていますから、結構早死にですね。
と、言うか、毛利元就が長命だったのでしょうけど…
信長包囲網の一角、武田信玄が崩れて、これから、織田信長帝国の大進撃が始まります。
明智光秀武田信玄に因んで「桔梗信玄餅」のご紹介
食べ方「C」難度と言われている

桔梗信玄餅 10個入 
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[麒麟がくる] オープニング映像 | タイトルバック | 音楽 ジョン・グラム | NHK

ザックリ戦国史「ポルトガルからオランダへの移行」 #戦国時代 #三浦按針 #八重洲

ザックリ戦国史ポルトガルからオランダへの移行」

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三浦按針と耶揚子(八重洲)はリーフデ号でやってきた

戦国時代。日本が主に交易していた、ヨーロッパと言えばルイス・フロイス等に代表されるように、ポルトガルでした。(交易つーても、大半は中国、東南アジアから仕入れた物を売っていた)
ところが、時代が進み、江戸時代に入ると、日本…徳川幕府は、欧州相手では、オランダとだけ交易をするようになります
ポルトガルとの交易は、半世紀以上にも及んだのに、何故、オランダが取って代わったのか? 
豊臣秀吉が亡くなり、天下簒奪がほぼ成った時、家康はポルトガルを含めて、当時、世界最強だったスペイン(イスパニア)との交易を望みました。交易と共に、当時最先端と思われる、スペインの諸技術の導入を図りたかったからです。
所が、スペイン側の交易条件は、キリスト教(カトリック)の布教と日本国内の測量でした。
布教と言えば、聞こえは、まあ…良いですが、実際は相手国内に同調者を募り、侵略戦争の時に内部蜂起して貰える内間ないかんの育成が目的な訳です。
因みに、豊臣時代に、長崎の「二十六聖人の殉教」は、布教による内間ないかんの育成に起因しています。
布教だけならまだしも、国内測量とは、スペイン側の意図が見え透いています。なんとか、交易だけを望んでいた家康でしたが、そこに、イギリスとオランダが「うちは、布教は望みませんよ。交易だけです」と手を挙げてきます。関ヶ原の直前に、家康がヤン・ヨーステン八重洲(オランダ代表)、イリアム・アダムス三浦按針(英国代表)の二人の漂着者を得ていたことも、大きく影響しているでしょう。(1600年4月19日、豊後に漂着)
スペイン、ポルトガルカトリックイギリス、オランダはプロテスタントで、先年、連合してスペインの無敵艦隊英仏海峡に破り、勢い付いていました。
「じゃあ、あんたら、ウチと取引してみる?」
的に、日本との交易権を得たイギリスとオランダですが、両国の商法に大きな差が生れます。「日本では毛皮が殆ど出回っていない」という事に、目を付けた双方、毛皮を売って回りますが、日本人は余り毛皮を欲しがりませんでした。
「日本では毛皮は売れない」と判断したオランダは、即、方向転換。毛皮より布の肌触りを好む日本人向けに、インド・中国辺りから生糸仕入れての販売に切り替えました。
しかし、イギリスは方向転換が出来ず「毛皮販売の新マーケット」に拘り続けた為に、ついには、イギリス東インド会社を撤退させます。
やがて、オランダは「羅紗」「ビロード」「胡椒」「砂糖」「ガラス製品」等に加え「書籍」という日本人が欲しがる、ヨーロッパ色の強いもの持ち込みます。
実は、日本人がもっとも欲しがった西洋の文化が、書籍でした。持ち込まれた書籍の中には「婦人用下着カタログ」の様なモノも含まれていましたが「ターフル・アナトミア解体新書」等、医学書やヨーロッパにおける東洋の認知度を示す書物が沢山ありました。余談ながら、日本の西洋書物収集は、幕末に英・米に小笠原諸島を奪われる事を防ぎます。
日本との交易権を得たオランダは、布教活動はしませんでしたが、幕府としては、やはり布教を恐れ、長崎出島から出ることは許されませんでした。
今、売れている食品
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江戸、大坂、名古屋 #呑み会 #飲み会 #割勘

江戸、大阪、名古屋

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落語の枕話まくらばなし(本筋に入る前の小話の事)に、こんなのがあります。
江戸っ子と浪速っ子と名古屋っ子の三人が食事に行きます。
食事をしながら、江戸っ子は「ここは、俺が出すしかねぇなぁ」と考えている。
浪速っ子は「どっちに払わせるか、試案のしどころや」と考えているなかで、名古屋っ子は、既に、お礼の言葉を考えていた。

このお話は「洒落」として受け止めて頂くものですが、名古屋の方には不愉快に思う方もいるかも知れません。
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年に、一、二度ですが、昔、勤めていた編集会社の同僚達と、集まって飲みます。
コロナ騒動もあるし、同僚や先輩も結構なお年なってしまったので、万一感染でもしたら重症化するかもしれなく、今年の呑み会は中止になりました。

この話は、数年前の呑み会での事ですが、二十年ほど前に「浪人生アルバイト」で働いていた「A」という男も誘いました。
愚痴っぽくて、やっかみ癖のある男で、理不尽な民族偏見もよくクチにする男です。
大口叩くわりに、何もやらない、見栄っ張りな性格もあって、私個人としては嫌いなタイプの男です。
会社が倒産した翌年に、既にウチを辞めて就職していた「A」を一度、呑み会にも誘った事がありますが、それが、図々しい上に不愉快でした。
本人、冗談のつもりなのでしょうけど、面白くないうえに、しつこくて、くどい。
人一倍、飲み食いしたあげく、会計の時は、会社の倒産で収入の減っているみんなに、たかるような真似をしたので、多くの者が不愉快に感じていました。
しかも、酔うと
「フーゾク行きましょう、フーゾク行きましょう」
としつこい。
真面目ぶるつもりはありませんが、私はフーゾクが嫌いです。キャバクラでさえ好きではありません。お金が無いクセに「行こう」というのは、フーゾクの代金も、他人に、たかる積もりなのでしょう。私も気分悪かったので、それ以来「A」を誘うことはありませんでした。
しかし、「A」はバイトで働いていた頃から、どういうわけか、私には懐いていました…
…と言うか、なんとなく、私には「気に入られている」と思っていた節があります。
当時は「A」もまだ二十歳過ぎの若造だったので、やっかみ発言なども、行き過ぎた差別発言等が無い限り、多少は大目に見ていましたが、そういう点も「A」からすると、
「生意気だが、可愛げのある若者…」「面白し、この若者」
と思われている位に、勘違いしていた様な気もします。

結局「A」は大学を諦め、(勉強していなかったから当たり前ですが)小さな広告代理店の営業マンになりました。就職してからも、私には年賀状や電話は寄越してきておりましたが、場の空気が悪くなるので、呑み会にだけは、ずっと誘いませんでした。
しかし、嫌われている事が分かってないらしく、
「飲みに行きましょうよ~」
しょっちゅう、メールや電話が掛かってくる。
カミサンに、
「たまには誘ってあげたら」
と言われ、
「まあ、ヤツも少しは成長したかも知れん」
と思って、その回は誘った訳です。
気がつけば二十歳だった「A」も四十歳のオッサン。
少しは成長しているかと思えば…
歪んだ性格に、拍車が掛かりこそすれ、全く成長しておりませんでした。
居酒屋の店員さんに対しても、
「俺は客だぞ!」
と言わんばかりの、横柄な態度だし、店員さんの中に、隣国出身者が居ると分かると、(最近は多いですけどね)聞こえよがしな民族差別発言を繰り返す。
確かに、日本と隣国との間に、政治摩擦はありますが、国家間の問題と、日本で働く隣国人への中傷は別ですよね。
勿論、日本人の中に「A」の様なガラクタ男も居るように、個人レベルで、どうしようもない隣国渡航者も居るとは思いますが。
こうした発言で、もしトラブルになった時、「A」個人が責任を取るのなら良いですが、小心者でもあるヤツの性格からして、絶対に私達を巻き込むでしょう。
その他にも、書くのも煩わしいくらい、色々あったのですが、主に、相変わらずの偏見発言に対して、とうとう、私も怒ってしまいました。
怒られた事が意外だった様でしたが「お前、ホンマに成長しとらんな」と、どやしました。
「お前、帰れ!…」
と言いましたが、見栄っ張りというか、虚勢を張るところもあるので、ヤツも意地になって帰りません。なんかやかんやあって、元・相棒だった呑み会仲間に、私の飲み代5千円を渡して、私の方が帰っちゃったんですけどね。
今思えば、私が帰る必要は無かったし、その時点の品数から、5千円は多すぎたかな? と、貧乏になった今は思いますけど。(^^ゞ
帰宅してから暫くして、いつもの呑み会メンバーから、
「もう、A君は呼ばないでよ」
というメールがありました。
私が帰った後も、店員さんとかに対する態度は「まるでチンピラ」だったそうです。(私に叱られて気分を害したからもあるでしょうが)
勿論、二度と呼ぶ気はありませんし、本人にも「二度と連絡してくるな」と伝えてあります。
昔から、呑み会で、ヤツは、お金を払う男ではありませんでした。
この回の呑み会でも、精算の時に、
「金、持ってないです」
と言ったそうで、結局、また、たかり…
羽振りの良かった昔なら、ともかく、飲み仲間の中には、もう年金暮らしに入り、収入の少ない人もいるのに「働き盛りの四十オヤジが、そんな人から、たかるか?」と思ってしまいます。
「年収は560万円」
とかうそぶいてたクセに…
独身で年収560万円なら、まずまず結構な収入ですよね。住んでるアパートだって、7~8万円程度らしいし、年収額が真実なら、余裕はあるはずです。

本来なら、
「ここは、私に出させて下さい」
とか言って、サイフを出そうとする諸先輩を制し、お店の人に札びら切って、
「釣りは取っておきなさい。それで家でも建ててくださいな…」
と言い、諸先輩に、
「これは、少のうございますが、お車代でございます」
とか言って、ひとり1万円づつ位包んで渡して、
「ポンポン」と、手を打つと、綺麗どころのおねーさん達が現れて、
「ほんの、寝間着代わりにご用意致しました。どうぞ、お好きな者をお連れ下さいませ…」
と…ここまでやるのが筋ですよね。
「お車代」辺りから冗談ですからね(^^ゞ…(じゃあ「釣り銭で家」は本気なのか?)
まあ、年収が嘘だったとしても、四十男なら、私らの貧乏呑み会ルールに従って、等分のお足位は 出しなさいよ。って感じでした。
「A」ヤツ、店を出た後も、金が無いクセに、
「次ぎ、行きましょうよ」
とか、また、ほざいたそうです。('-^)もう、たかりグセが染みついちゃってるんすかね?

で、最初の枕話に戻るのですが、この「A」。出身は名古屋でこそ、ではありませんが、愛知県の出身でした。なんか、飲みに行くとなると、奢ってもらえるのが当たり前みたいに思っていて、
「あの落語の枕話って、案外、的を射た話なんかなぁ」
と思わされてしまいました。まあ、せめて、性格が良ければ、図々しくても愛嬌になっていたのかも知れません。
お酒
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