仲の良い夫婦がツーカーである必要は無い #夫婦 #離婚 #永遠の愛 #家族

仲の良い夫婦がツーカーである必要は無い

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夫婦も形に拘る必要はないのかも?

アベマTVを観ていると、既に崩壊してる夫婦が、家族であろうと必死になる番組がありました。
主人公の女優さんは「検事」という立場で、この、ご夫婦に関わり合って行きます。
離婚率の高い米国と、離婚率は低いが、事実上崩壊しているにも拘わらず、頑張ろうとする夫婦の多い日本。
「どちらが正しいのかしら?」
主人公は悩みます。隣で聞いていた、知り合いの娘さんが、
「でも、アメリカの方が誠実だと思います」
夫婦として無理な状態なのに、自分たちに嘘をついてまで、一緒にいる事は不誠実だと言います。
主人公の女優さんは、セリフとして、
「耳が痛いわね…」
と括るのですが、中耳炎にでも、なったんでしょうか? 
…ではなくって、私個人は、べつの感想を持ちました。

神様の前で「死が二人を分かつまで、添え遂げますか?」永遠の愛を誓いながら、飽きたんで離婚します。
という、キリスト教系。(カトリック系が、かなり雁字搦めで、離婚が難しい…だけが理由でもありませんが…対してのプロテスタントが生れました)
基本、永遠の愛を誓う習慣のない、日本人の方が「群れ」としての最小単位「夫婦」を守ろうと一生懸命になる。

現在の日本で、果たして、崩壊しながらも、何組の夫婦が無理にでも、夫婦であろうとしてるかは分かりませんが「なんか皮肉な話だな」と思いました。

でも、夫婦って仲が良いからといって、必ずしも「ツーと言えばカー」でもありませんよね。
私の実家を継いでいる、長兄夫婦は、大変仲良しで、週末のお休みには、二人して良くドライブに出かけます。
私も帰省した折には、一緒に出掛けますが、良くあるのが、
「あっ! お父さん(長兄の事)今の所、右」
とか、義理の姉が指示を出します。
「なんで、今言うんね。過ぎてしもうたが…あんたぁ、いっつもほうじゃが」
「ごめん、ごめん、次は気ィつけるけえ」
こんな感じで、まるで、珍道中。

途中の「道の駅」の様な所でも、義姉が遠くから、何やら長兄に目配せしているのだが、長兄は、
「あ? あん? 何? どしたん?」
みたいに、全然分かっていない。結局。
「もー、お父さんは、鈍いねぇ。そこの○○取っておいて欲しかったのに」
「ほうか、そりゃあ、すまんのう」
なんて、やっている。
でも、二人は、大の仲良しで、いつも一緒。
母にこの話をすると、
「そりゃあ、アンタ、夫婦は仲が悪う見えても、支え合って生きとるじゃけん」
一見、トンチンカンに見えても、長男夫婦は、理解しあってて、支え合って生きてる感じがします。

かたや、ツーカーであっても…ツーカーであるがゆえに、かも知れませんが、仲が悪く、冷え切った夫婦も、現実居ますね。

私より、一回り程若い、後輩夫婦で、
「お互いの屁の匂いまでかぎ合うのが、真の夫婦」
という、ヤツがおりました。
その段階で、
「なんか、疲れる夫婦観だな」
と思いましたが、
夫婦は隠し事があってはならんとか、
夫婦なんだから、ツーカーにならなければならないとか、あんまり、形に囚われても、シンドイ夫婦になりゃせんかな? とは思いました。
彼とは、随分会っていませんが、今でもオナラの匂いを嗅ぎ合ってるのでしょうか? ちょっと心配ではあります。
夫婦的に上手く行っていれば良いですが。

私ら夫婦も、話がかみ合ってないまま、テレビを観ていたりする事がよくあります。
私は、登場人物Aについて話しているのに、カミサンはBの事だと思ったまま、暫く話が続いてたりします。
でも、私たちは仲良しだし、私にとってカミサンはパートナーでもありますが、一番の親友でもあります。
夫婦でも、親子でも、全てを理解し合うなんて、多分不可能でしょう。理解し合う努力は必要でしょうけど、夫婦だから、親子だからってツーカーである必要は全く無いのだと思います。

観たい時に、観たい番組…



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