怪僧・安国寺恵瓊の予言 #安国寺 #明智光秀 #信長 #本願寺

怪僧・安国寺恵瓊の予言

本願寺跡地に大坂城が出来ます

信長が「信」を失い始めた感じは良く出ていると思いました。
毛利の外交僧「安国寺恵瓊は、信長と会った感想として、
「二、三年の内に公家(右大臣になった)にもなるであろう。しかし、五年、六年の内に高転びに仰向けに倒れるであろう。さりとても、ご家臣の羽柴秀吉は大した人物である」
と評した様に「本願寺攻め」辺りから、社会全般の信長への信頼は急速に失墜してゆきます。
毛利との直接対決の前、播磨の黒田官兵衛が、中立地帯だった播磨周辺の豪族たちを説得、織田方に着く様に調略しますが、それを覆したのが、毛利の怪物外交僧「安国寺恵瓊」でした。
恵瓊は信長の将来と、秀吉の大器を見抜いた他にも、調略の才能がありました。
織田、毛利が衝突すると同時に、織田方に着いたはずの豪族たちは、一気に毛利に寝返りします。寝返りは、恵瓊の調略の功もあるでしょうが、一番に「信長は約束を破る」という感覚が一般化し始めていたからでしょう。
信長は政治家としては希代の天才です。しかし、人の心の機微がいまひとつ理解できてない、所謂「サイコパス」だったと思われます。だから、謀略の天才・毛利元就豊臣秀吉の様な、アフターケアが出来なかったのでしょう。
1580年には、重臣林秀貞(通勝)を弾劾し、追放。理由は24年も前の、弟・信行との家督争いでした。林秀貞が、信長と敵対し、弟を擁立しようとした事でした(柴田勝家も信行を擁立したが弾劾されていない)。続いて、佐久間信盛を「働きが悪い」という事で、「十九ヵ条折檻状」突きつけて追放します。
両名とも、譜代家臣で筆頭家老でもありました。
信長には信長なりの理由があったとは思いますが、世間には「利用価値が無くなったので捨てられた」と映っています。
そして「本能寺の変」直前には、四国・長宗我部氏との同盟関係を一方的に反故にし、攻め込む事を決定します。
信長は「天才」という事では、或る意味、元就、秀吉よりも上だったと思いますが、残念な事に「信」が欠如していました。
所で、三条西実澄役の石橋蓮司さん…やっぱ、シブイ(>_<)っす。
来週は「松永久秀、爆死」みたいですね。
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