受験文化と就職問題 #幕末 #明治維新 #韓国 #科挙 #試験制度

大河ドラマ「青天を衝け」第二十三回を観終わって①

やっぱりちょっと余計ですが

小栗上野介が「江戸より軍を上京させ」と言いましたが…やはり、「上京」という言葉は使わなかったと思います。厳密には、使われた記録があるのかも知れません。
しかし、現在でも京都に上る事を「上洛」と言いますね。
これは、京都の町を造る時、当時の中国の首都だった「洛陽」を模して造られた事に由来します。
だから「上洛」という訳ですが、まあ、多分、「上京」という言葉は、少なくとも教養人の間では使われなかったと思います。

渋沢栄一は西洋を持ち上げすぎ、日本を卑下しすぎ

あくまで、ドラマの中での渋沢栄一ですが、日本では身分がモノを言い。西洋では身分に関係なく人材を登用しているかの如く言いました。
しかし、実態は、ヨーロッパでも身分は結構モノを言っています。
パン屋の息子はパン屋に、靴屋の息子は靴屋にしかなれない的な文化は未だにあって、英国の何代前かの首相はパン屋出身という事で、かなり珍しがられています。
英国の例ではありますが、出世したければ、サッカー選手になるか、ミュージシャンになるか…そんな意識も意外とあります。

日本では、鷺を烏と押し付けられる

一神教西洋の世界でも、「カラスは白いものだ」的に押し付けるクセはあります。(特殊な例で、白いカラスは現実いますけど)
結論を先に言い、辻褄合わせの理屈を後に言います。
「カラスは白い…何故ならば…」という風に。
現在では、日本でも当たり前の方法ですが、結論に沿った話しかしないので、間違った話であっても辻褄は合います。まあ、ヨーロッパは小さい国が密集していた為、自分の言い分を通すには、こうした「ギリシャ哲学的」論法しかなかったのでしょう。

日の本は、大名と商人が普通に話せない国だったか

大名の方が、むしろ膝を折って、大坂の商人に会いに行く程でした。
大名自らが、借金に赴くことも多く、大坂の町に着くと漆塗りの駕籠を降りて、歩いて商家宅に訪れるという程に気を使っています。
面白い所では、紀州・徳川藩。大坂の商人「鴻池」からの借金が嵩み、藩経営が立ち行かなくなりました。立て直しの為に鴻池の番頭が、和歌山のお城に常駐。紀州・徳川藩を仕切っていた例もあります。大坂の商人はそれほどまでに力がありました。

日本はそんなに風通しが悪くも無かった

と、私は思っています。
先ず、江戸時代、身分はあって無きようなもので、売り買いされていました。
田沼意次の様に、武士であったかどうかも怪しい身分でも、優秀さが認められれば、老中にまで出世できています。他、間宮林蔵伊能忠敬も、元は百姓と商人の出でしたし、多摩川上水道工事で有名な玉川兄弟も、農家出身でしたが立派な数学者でもあり、上水道武士に出世しています。
薩摩でも、身分の低い西郷隆盛大久保利通らが、先代藩主、島津斉彬に認められ登用されていますし、長州でも、差別は確かにあったにせよ、百姓身分の伊藤俊輔(博文)が登用されていますし、一介の村医師出身であった大村益次郎等も出世しています。
何よりも、物語の主人公、渋沢栄一自身が、百姓身分から役人になっていますね。
皆、能力を認められた後、武士として取り立てられますが、サラリーの都合があって武士正社員にしなければなりませんでした。

むしろ、風通しの悪さは科挙テスト制度にあったでしょう

科挙かきょ」古代中国に発祥した、世界最古のテスト制度の事です。
元々の狙いは、豪族、貴族からだけではなく、市井からも優れた人材を発掘する為のものでしたが、直ぐに、形骸化してしまい、「孔子孟子に通じているか?」など、実践よりも、教養に通じている事に重きが置かれるようになります。現代の試験制度に似ていますね。
隣の朝鮮半島でも「科挙」制度は採り入れられ、年四回も科挙が行われるようになります。
科挙に合格すれば、一族は安泰。だから必死に勉強をさせましたが、合格者はゼロに等しい。何故ならば、半島における宦官かんがん(科挙で選ばれた役人で、合格後は男性器を切除された去勢を受ける)は、事実上世襲制となっていました。年四回の受験も、膨大になる受験料を集める為だけの物になってしまいます。
現在でも有名な、韓国の受験戦争風景は、こうした文化の名残ですが、エリートの割合が増えてしまっては、平民と同じになりますし、韓国で深刻な問題として「燃え尽き症候群」があります。
必死な思いで、大学まで行っても、思う様に就職出来ず、漢江に入水自殺する若者が後を絶たないと聞きます。
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