「紙幣」の話 #紙幣 #西郷札 #銀 #金

大河ドラマ「青天を衝け」第十九回を観終わって その③

みんなの手でNHKを民営化に…

紙幣

ドラマの中で、渋沢栄一は、大百姓時代、商いに廻っていた、上州、信州での経験から、重たい銀貨幣を大量に持ち運べない事から、銀引換券「銀札」を作り出します。
現在の「紙幣」に相当するものですが、作中で栄一も言っていた様に「一橋家の信用」というものがなければ、これは通用しません。その意味で、逆に全く紙屑になってしまったのが、西南戦争後の「西郷札」だったでしょう。西郷軍は反乱軍でしたから、明治政府も補填せず。西郷札を大量に抱えて倒産してしまう商家も多かったそうです。
現代の紙幣(円)にしても、日本という国が存在し、そこに信用があるからこそ、お金として世界で流通出来るわけですね。
西郷札は厳密には紙幣ではなく、印刷した布と布の間に紙を挟むという、三分の二布幣でした。

世界最古の紙幣

「元」の時代のモンゴルが世界初、事実上の紙幣を作りました。
紙幣を作った理由が、渋沢栄一と全く同じ理由で、経済が活発になると、それに伴って大量の銀が移動することになります。しかし、重たい銀を運搬するのは、人数も要りますし、コストも掛かります。そして、なにより途中盗賊に襲われるというリスクもあって、護衛も必要となりました。
そこで、「元」は、銀交換券を発行し、両替所に持ってゆけば、いつでも書面にある額面通りの銀と交換できる仕組みを作り出しました。
この、合理的な仕組みを同時代のヨーロッパでは、「所詮は紙(空)ではないか、銀貨(物質)ではない」として理解出来ていませんでした。

因みに…

十八世紀ころまで、世界の共通通貨は銀で、金より銀の方が価値がありました。
江戸時代の日本でも、東日本は金が中心でしたが、外国に近かった西日本は、銀が中心で、江戸から大坂に来た人は、小判を両替商で銀と交換していました。逆に上方から江戸に下った人たちは両替商で金と交換していました。
戦国時代、石見の銀山を毛利、尼子、大内で争ったのも、時代的に国際通貨として金よりも銀の方が価値が高かった事もありました。

【余談】「雄弁は銀、沈黙は金」

19世紀の英国評論家、トーマス・カーライルの『衣装哲学』に記された、カーライル自らの思想を述べた一文。
「Speech is silver, silence is golden(雄弁は銀、沈黙は金)」
沈黙を「銀」より高価な「金」に例え、「説得力のある言葉を持つことは大事だが、黙るべき時を知るのはもっと大事である」と説いたといわれます。
一方で、この格言のルーツを古代エジプトギリシャ、ローマとする説もあります。
格言のできた時代は、「銀」の方が「金」よりも価値が高かった為に、本来は逆の意味である。とも言われています。
逆の意味と言えば…「湯水の如く使う」という言葉がありますね。
現在では、蛇口を捻れば、いつでも出てくる湯や水のように、「惜しげもなく使う事」という意味で使われますが、水源の豊かな日本でも、その昔は、飲料水を確保する事は難しく、更に湯にするという事は大変でした。
「湯水の如く使う」とは、「湯や水の様に大切に使え」という意味であるという説もあります。
【思い出話】
某大手宅配業でパートをしていた頃、「着払い」や「代金引換」の為に、釣銭をベルトポーチに詰めて歩いていましたが、小銭も溜まってくると、歩く度に意外と腰に来たものです。
自動引き落とし(空)の方が、代引き(物質)より、全然楽でした。
この記事が面白いと思ったら、ブログ村プロフィールをポチしてください
PVアクセスランキング にほんブログ村
子育てヒロシのオフィシャルブログ - にほんブログ村