武田勝頼は何故滅んだのか? #戦国時代 #武田信玄 #武田勝頼 #武田氏 #信長 #家康

武田勝頼は何故滅んだのか?


本当は、昨年大河「どうする家康」の「長篠・設楽原の合戦」の辺りで書きたかったんですが、歴史関係の記事は、私程度の書き手でも、なかなか気合が居るもので、伸ばし伸ばしにしているうちに、タイミングを逸してしまいました。
しかし、まあ、「いずれ書きたいな」と思っていたので、唐突な感じですが、今回書きたいと思います。
先ず2023年、大河ドラマ「どうする家康」
正直、あれはいけませんでした。いくらドラマとはいえ、あそこまで行くと、新解釈ではなく、歴史の歪曲でしかありません。まるでハリウッドの作った「47RONIN 赤穂浪士」を観ているような違和感、ファンタジー感を覚えました。
戦国時代に関わらず、テーマとなる時代を理解するには、やはり、当時の人々の社会的感覚を理解する努力をしなければ、絶対に分からないと思います。のドラマは「戦国時代を、現代人の感覚で紐解こうとしすぎ」だった様に思いました。
酷評になりますが、B級大河だったと思っています。

ともあれ武田勝頼の滅亡

武田勝頼の凋落は、長篠・設楽原での敗戦後、直ぐに始まった訳ではありません。
設楽原での圧勝直後、家康は、信長に「追撃しましょう」と主張しましたが、
「武田は、いずれ立ち枯れる」
放っておいても、内部から崩壊してしまう。として追撃はしませんでした。
気性の激しい信長でしたが、なかなか気長に待つ事も出来る男であって、設楽原から武田征伐まで七年も放って置きます。
敗戦後も勝頼は、度々大軍を整え、徳川領を侵しています。もはや、武田家の為ではなく、勝頼個人のプライドの為の戦いに近く、三河駿河辺りの砦や城に対し、頻繁な争奪戦を展開していました。
武田の勢いは、一見、以前にも増したように苛烈でしたが、その戦費は、領民が困窮する程の税を課して賄っていました。
重税に加えて、連続する戦。最下層の領民を束ねる、地侍レベルまで、不満は蔓延してゆきます。勝頼、行政力の無さから来る失敗でした。
武士団とは「相互扶助」の関係なので、家臣、領民を奴隷の様に扱っては信頼を得られません。父・信玄の頃なら、こんな無理はしなかったでしょうし、しなかったからこそ、結束の強い武田軍団が存在していました。
勝頼、次の失敗は、越後の上杉謙信亡き後。その後継者争いで、上杉景勝に加担した事でした。謙信には実子がなかったので、景勝は養子ですが、実の姉の子。血を分けた甥でもありました。
もう一人の後継者候補は、上杉景虎で、こちらは、北条氏康の息子。武田を挟み撃ちにする為の関越同盟の折りに養子として迎えられています。
勝頼は、上杉と同盟を結ぼうと考えたのか、景勝に組し、景虎を自害に追いやってしまいます。これで、北条氏康没後に、父・信玄の築いた武田・北条同盟が崩れ、北条氏は徳川・織田と同盟関係を結びます。
個人的な好みに関わらず、景虎を押していれば、北条、武田、上杉の三国同盟が実現。上杉に織田を牽制してもらい、武田・北条の連合軍で徳川を脅かす事が出来たろうにと思います。
さらに、徳川・北条連合軍に、高天神城を攻められた時、援軍を出さず見捨てたことが、致命的となり、木曽義昌ら幹部クラスが、次々と織田に寝返る。という事態を生み出す事になります。
こうして、勝頼は滅亡の一途を辿る事になりますが、亡き武田信玄は、勝頼のこうした政治眼の無さを見抜いて、武田を名乗る事を許さず「諏訪勝頼」とし、「風林火山」の旗印も使う事も許さず、後継者として、勝頼の子「信勝」を指名したのだと思います。
信長も「勝頼では、到底、武田を切り盛り出来まい」と観ていたのではないでしょうか? だからこそ、設楽原で追撃せずの「武田は、いずれ立ち枯れる」だったと思います。

ドラマ中のセリフ「勝頼の器量、信玄に勝る」

信玄の落とせなかった「高天神城」を落とした事で、勝頼は天下にその名を知られる事になりますが、「信玄に勝る」といっても、所詮は合戦現場での事だったでしょう。
戦国時代に、ほぼ滅亡する武田氏
甲斐武田氏」「安芸武田氏」「若狭武田氏」の他、「常陸ひたち武田氏」など、戦国頃まで、武田氏は割に全国に散らばっていました。
全て同族です。戦国当初、安芸の武田元繁と甲斐の武田信玄は、その勢いすさまじく、近隣諸国を切り取っていましたが、安芸武田は毛利元就に滅ぼされ、甲斐武田も織田信長に滅ぼされます。
他、細々とした武田氏も先細るように、その勢力を失って行きますが、若狭武田だけは、流浪の末に、南北海道松前・蛎崎氏の養子となり、子孫を残し、家紋だけは「丸に割菱」という武田紋を使っています。

この記事は、こうした見方もあるんだな。程度に思っていただければ幸いです
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