バスケットボール 日本・フランス戦の判定に批判 #フェア精神 #パリオリンピック #判定 #バスケ

バスケットボール 日本・フランス戦の判定に批判


the-ans.jp
欧米ではよくある事
開催国に有利な判定になるのは、どのスポーツ、どの大会でも同じで、特に欧米ではかなり当り前の事です。
バスケの試合は、ハイライトでしか観ていませんが、フランス贔屓の判定が相次いだそうですね。せめてもの救いは、海外メディアもこの依怙贔屓判定に「おかしい」と言ってくれている所でしょうか?

私の身近でも「欧米はフェア精神に富んでいる」と誤解して居る人は結構多いですが、正直、日本人ほどフェアではないだろう。と私個人は思っています。
かつて、現役ブラジル代表を務めながら、Jリーグジュビロ磐田で活躍されていた、MFのドゥンガさんは、日本に来て驚いた事のひとつに、選手の正直さがありました。レフリーが何も言ってないのに、ボールがサイドラインを割ると選手自らが手を上げて知らせる光景に驚いたそうです。(現在は多少、強かになっているかも知れません)
「日本人は、レフリーが見て居なければ良い、という感覚に乏しい」
著書の中で言っておられますが、同時に、その正直さに感動もされています。
「誰も観て居なくても、神様良心が観ている」
という感覚は、日本人の感覚です。しかし、結構、欧米の感覚と勘違いしている人も多いですね。
ついでながら「神様が試練を与える」という感覚も、日本人のものです。
一神教のゴッドと信者は、「私を心から信じ、一週毎に収入の一割を納めれば、必ず守ってやる」という契約で成り立っていますので、護ってこそゴッドであり「試練」を与えては、それ即ち契約違反となります。
一神教徒のモチベーションは「与えられた試練」ではなく「どんな時でも、必ず護って貰える」(御加護)にあります。
欧米社会は日本人が羨望する程、フェア精神の国々ではない
400メートルハードル、世界陸上・銅メダリスト。為末大さんの場合
世界ランキング七位にまでなったアスリートさんですが、海外の大会、特に欧米の大会に参加すると、明らかに自分のコースのハードルが、他のコースより五センチ以上も高い事が、遠目にもわかる事が多かったそうです。
「高さが違うから、合わせてくれ」
と言っても、「ノーノーノーノー」と言って、中々合わせてくれない。
かなりしつこめに言って、シブシブ合わせてくれたりするそうですが、海外ではスタッフからして平気でこんな事するのは当たり前なんだそうです。
自転車レース・銀メダリスト梶原悠未さんの場合。
銀メダルを獲れるかどうかというレース。
控室に居ると、メダル争いの某国の選手がやってきて、「あんたは、もう銀メダル確定なんだから、次のレースの勝を譲ってくれ」
と言ってきたそうです。梶原さんは、次のレースに勝たなければ銀メダルは獲れない事は知っていたので、断ったそうですが、その選手は、スタートラインでもレース中でも「あんた、銀確実なんだから、このレース譲れ」言って来たそうです。結果、譲らなかったので梶原さんは銀メダルを獲得しましたが「譲れ」としつこかった選手は、レース後に舌打ちしたそうです。
トライアルライダー藤波貴久さんの場合。
「トライアル・レース」とは、山岳地帯の様な岩場コースをオーバイで登り降りするレースです。持ち点があり、足を地面に着く毎に減点され、ゴールの段階で残り点数の多い選手順に勝ちの決まるスポーツ。
バランスを失いかけてチョコンと足を着けば、-1点位ですが、アクセルターンの様に、片足を地面に着いてグルッと回ったりしたら、-5点等、足の着き方でも点数は変わります。
このトライアルが盛んなのがヨーロッパで、特にスペインは、世界最高峰のリーグだそうです。
そのスペインに渡った藤波貴久さんも、足を着いていないのに減点されたり、逆にスペインの選手があからさまに足を着いたのに減点されない。という差別環境の中で、戦い続け、日本人で、唯一のトライアル世界選手権のチャンピオンになりました。
外国にスポーツマンシップは無い
という訳でもないでしょうが、日本人が思ってやまない程のスポーツマンシップを持ち合わせている訳ではありません。
私は、日本人は総じてかなり高潔な国民性である。と思いますし、そうした、お人よしに見える日本人の性質も好きですが、スポーツだけでなく、政治もビジネスでも、対外的にはもっと強かであるべきだとも思います。
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