桜田門外の変 #桜田門外の変 #井伊直弼 #暗殺 #井伊の赤鬼

大河ドラマ「青天を衝け」第九回を観終わって


桜田門外の変
岸谷五朗さん…基、井伊直弼桜田門外で討たれました。
大老ら重役の登城は、いつも駆け足だった】
大老職等、幕府の重臣たちが登城する時の駕籠は、いつも駆け足でした。
駆け足の理由のひとつは「桜田門外の変」のような、襲撃を避ける為もありましたが、急ぎ足が当たり前なら、周囲に緊急時である時を知られない。という意味がありました。
しかし、桜田門外の変の時は、雪が降っていました。その為に、いつもと違って、行列は歩み足になっていたようです。
【もし、雪が降って居なければ…】
桜田門外で井伊大老を討つ事は、失敗に終わっていたかも知れません。
道が乾いて居れば、駆け足だったでしょうし、なんといっても、護衛が皆、雪の為「柄袋」をしていた事も、襲撃側に有利に働きました。
刀を抜くためには、柄袋を解かなければなりません。その為に、迎撃が後手に回った事も、井伊直弼にとって不運でした。
井伊直弼の開国論】
井伊直弼は、藩祖・井伊直政が「家康様大好き」だったように(モーホ関係だったし…)、幕府大好き人間でした。ドラマの中で描かれていた様に、上様の為なら的に「安政の大獄」を断行しました。
そして、開国も、幕府のみが海外と貿易し、幕府が豊かになる事で、諸大名を押さえつける力を復活させたいと考えていました。
これは、同時期の「清」が、皇帝としての力を復活させるために、西洋諸国と貿易しようとした考えに似ています。事実上植民地としての不平等条約を結ばされたとしても、幕府は諸大名の上に君臨できるという方法です。その意味で「桜田門外の変」は、日本国としての開国に大きな影響与えたとも言えます。
【「桜田門外の変」は水戸藩士が起こしたが…】
一人だけ、薩摩藩士が参加しています。
司馬遼太郎先生の短編集「幕末」の中に「桜田門外の変」が収録されています。面白いのでオススメします。

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おっさんは仕事出来ない、おばさんは図々しいという偏見 #偏見 #ジェネハラ #おじさん #おばさん

おっさんは仕事出来ない、おばさんは図々しいという偏見

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オジサンは仕事が覚えられない。覚えても遅い。

という偏見が有ります。
ですが、仕事を覚えられないのは、年齢のせいではないと、私は若い頃から思っています。
【オジサンだから仕事を覚えられないのではない。元々仕事の出来ない若者が年寄になっただけである】
昔から、若くたって仕事の出来ない者、覚えられない者は居ました。持って生まれた、能力のせいかもしれませんが、ひとつには、仕事に対して関心がない。「自分のやりたい事ではない」という思いもあるのだと思います。
「僕は」「私は」将来こうなりたい。幼い頃から、具体的な目標を持っている人は少ないものです。やりたいことが見つからず、高校、大学を出て、興味のない、良く分からない会社に入って働いて行く。という人間の方が圧倒的に多いでしょう。
しかし、そこで、興味のない職業なりに、その中に楽しみ、面白味を見い出して行く。そこが重要なんだと思います。「働き甲斐」とは、それを見つけ出す事だと私は思っています。
「こんなんじゃない、こんなんじゃない」と思い続けていたら、仕事も覚えられないでしょう。
もうひとつ、本当に能力的に、仕事を覚えられない人も居ます。そういった人は、経験上、ほぼ例外なくプライドの高い人です。高学歴だが仕事が出来ない。という人も、このタイプが多いですね。
自己評価は極めて高く「俺はこんな事をやる人間ではない」という気持ちだけは、人一倍。しかし、それを裏付けるだけの実力は持っていない人です。
慣れさせるために、基礎的な仕事を振ると、ムスッとした顔した後「…こんなの、出来るわけがない!」と逆ギレしたりする。
若い内なら、その態度のデカさも愛嬌位に受け止めて貰えますが、若さが抜けて行くと、その人物の本質だけが剥き出しになってきて、プライドの高さが醜く映り始めます。
これが、「オッサンは仕事が出来ない」の正体だと、私は思っています。
そして、同様に…
【オバサンだからから図々しいのではない。元々図々しい娘がオバサン年寄になっただけである】
と思っています。
「女は年を取ると図々しくなる」
という人が居ます。これ、男性だけでなく、女性も開き直りに言ったりしますよ…。
しかし、私の年老いた母、カミサン、カミサンのお義母さんは、図々しい性格ではありません。
マナーも良いし、浅ましい事への恥も感じられる人達です。
若く、つやつや、ピチピチしている頃なら、若さのバリヤーで図々しさも、許されるでしょうが、若さも剥げ落ちる年ごろになると、その人の本質が剥き出しになって、図々しさだけが目に留まる様になる。
オバサンだから、図々しいのではなく、元々図々しい娘が、年取っただけ…と、私は思っています。
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袋竹刀と竹刀 #竹刀 #袋竹刀 #剣道 #剣術

大河ドラマ「青天を衝け」を観終わって番外編

竹刀では、斬ではなく打つになる

kosodatehiroshi.hatenablog.com

【袋竹刀と竹刀】
前回、袋竹刀と竹刀について、少し触れました。
袋竹刀は戦国時代の剣豪・上泉信綱が考案し、四つ割り竹刀は、幕末の剣豪・千葉周作が考案したというお話もしましたが、同じ剣術の道具であっても、考案された目的は全く違います。
袋竹刀は稽古用の木刀きがたなの代わりに発明されましたが、安全性の為と言うよりは、「斬撃」の感覚を養うために作られました。
撃ち込んだ時に、ベシャっと張り付く感じが、刀での斬撃感覚に似ていると言われています。
結果的に、木刀稽古のような、当てた時に重篤な怪我をしない。という安全性も生まれましたが、それは副産物的要素で、開発の主な目的は、あくまでも「斬る感覚」「斬られる感覚」を得るためのものです。
四つ割りの竹刀も、木刀の代わりに発明された道具ですが、これは撃たれた時に、木刀より安全である事が目的でした。加えて、綿の入った分厚い生地を使っての防具も発明されます。
これによって、思いっきり打ち込めるようになりました。
【木刀稽古の欠点】
当たり前の事ですが、木刀は、真剣の代わりに作られたものです。真剣で稽古していたら、上達するまでに命がいくつあっても足りません。
そこで、斬れない木刀が生れましたが、斬れないといっても、当たれば洒落にならない怪我もしますし、当たりどころが悪ければ、即、死に至ります。
そこで、致命傷にならないように寸止め稽古になりがちになりますが、これでは、実際に撃つ感覚が養えなくなります。それに、斬れない木刀では、当然「打つ」「叩く」という太刀筋がクセになってしまいます。その意味で、四つ割り竹刀は、木刀の延長線上にあって、「打つ」(叩く)という太刀筋になりました。
【目的の違う二つの竹刀】
袋竹刀は「斬」が目的で作られ、四つ割り竹刀は、木刀の「打」を可能にするために作られました。
「斬」の太刀筋と「打」の太刀筋の違いは、そのまま「剣術」と「剣道」という違いとなって進化してゆきます。私も少年期に剣道の経験がありますが、どうしても「相手を叩く」と言う感覚になります。
「面撃ち」や「籠手撃ち」、「撃」の字が使われていても、ポーンと叩くイメージで打ちますし、「突き」も「突き刺し」ではなく「突き飛ばし」になります(私が剣道部だったのは中学生の時だけだったので「突き技」の経験はありません)。
まあ、現代は刀を差して歩く時代でもありませんし「斬」であっても「打」であっても構いません。四つ割り竹刀と防具のお陰で「凜」とした現代剣道という、美しいスポーツも誕生もしたので、それはそれで実に良い事だと思います。
【余談、サンドバックとコンクリート塀】
現在、空手をやる人で、コンクリートの壁を叩いて拳骨を鍛える、という人は、まあ、居ないだろうと思いますが、私が空手を習っていた頃は、結構、コンクリートの壁を叩いて、拳骨を鍛えた、という人は多かったモノです。私も、その一人でした。
所が、コンクリートの壁を叩いていると、なるほど拳骨はコンクリートの硬さに適応しようとして、固くはなるものの、凹むことのないコンクリートでは、ぶつかった瞬間に拳が止まってしまい、人体にダメージを与えるインパクトを得られなくなります。
インパクトを養うには、柔らかいサンドバッグが最適で、これを打ち込まなければ、パンチの威力は生れません。それも、出来るだけ質量の重たい物で作られたサンドバッグが良いでしょう。「袋竹刀」と「竹刀」の違いが、サンドバッグとコンクリートに似ていて、余談として書いてみました。

サンドバッグ撃ちは打撃のインパクトを養える

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ジジババの人間関係 #悪口 #陰口 #人間関係 #ジジイ #ババア

同僚が退職した翌日に、同僚の悪口を言い始めるジジとババ

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陰口は女性だけがやるわけではない

現在の職場は、デスクワークなので、結構ご年配層の方も働いていらっしゃいます。
その中で、先月、退職された70歳の男性「Nさん」がおられます。
希望すれは、75歳まで働ける職場なのですが、ご本人が言うには、
「いやぁ、さすがに身体にガタ来てね。女房も、もう辞めて良いよって言ってくれたし」
という事で、三月末日で退職されました。
Nさんは、人柄の良い方で、私もこの方から、今の仕事を教わりました。
社内の若いお姉さま達からも、餞別や花束を貰う程の人柄(まあ、これは慣習的にやるのかな?)。
でも、若い社員達からも好かれていた人でした。
同僚の、ジジババ達も、「寂しくなるなぁ」とか言って、別れを惜しんでいました…。
時節柄、送別会を開けないのは、ちょっと寂しい所ですが、私も、ビルのエントランスまで行って、お見送りをしたものです。

そして、その翌日の事。

出社して、ジジババ軍団の一人と交わそうとした挨拶の途中。「おはようござ…」辺りで、いきなり、
「辞めて行った人の悪口は言いたくないけどさぁ(言いたくないなら言うな)、Nさんってホントは無責任な人だったんだよねぇ」
と始まりました。
「えっ? いやぁ、でも色々親切に教えて貰いましたし、書類関係は細かすぎる程キチンとしてましたよ…」
「イヤ、あの人、人当たりは良いんだけどさ、実際やらなきゃならない事やらないんだよねぇ」
「…はぁ…」
職場の先輩だし、人生の先輩でもあるし(といっても、四十、五十過ぎれば、皆同じ、人生の先輩もないけれど)、上手く付き合っていきたいと思って、適当に相槌を打って居ました。
ジジババ軍団とは言いましたが、ジジババ軍団の中で、Nさんの悪口を言うのは、ジジィ、ババァ一人ずつです。二人は、それぞれ私の顔を見るたびに「Nさんはさぁ…」と始めます。
Nさんと私は、一ト月ほどの付き合いしか有りませんでしたが、悪口の止まらない二人のジジ、ババもNさんとは、随分仲良くしていたように見えてたんですけどね。
それから、人の顔を見る度に、兎に角、この人たちはNさんの悪口を言い続けます。
「…あ、やらなきゃならない仕事あるんで」
パソコン作業を始めようとすると、
「まだ、始業時間じゃないからさ…」
と、しつこい。こんな事が、一週間続きました。さすがに、ヘトヘトになった私を見かねたのか、事務のお姉さんの一人が「あの二人、仕事は真面目なんですけど、いつもあんな感じなんですよね」と教えてくれました。そして、お姉さんは何かをしてくれたらしく、翌日から、このジジババはプッツリNさんの悪口を言わなくなりました。めでたし、めでたし…

何故、彼らはNさんの悪口を止めようとしなかったのか

私見ですが、ひとつには、Nさんへの嫉妬があったと思います。
二人とも、仕事には真面目だし、親切でもあります。二人が指摘するように、Nさんには少しズボラな所もありました。なのに評判は良い。そこが一つだったように思います。
そして、もう一つ、私が乗ってこない。
二人の欲しい理反応は、
「そうなんすかぁ。俺もそうなんじゃないかと思ってたんすよ。まあ、Nさんて言えば…」
であって、曖昧な相槌ではなかったんでしょうね。
「あ、コイツ納得してないな」
という気分で、私を説得しようとしつこくなったんだと思います。

人間誰しも、悪口は言われるし言うだろうと思うけど

二人とも、Nさんに対し、溜まった感情はあったのでしょう。万人に好かれる人なんていないし、悪口も言ってしまう事は、誰でもあるでしょうし、同時に、誰もが、悪口を言われていると思います。
心に想いをため込むよりも、悪口で発散するのもありだと思います。
ですが、「度」というものが有りますね。多少言い足りなくても、適当な所で辞めておいた方が無難ですね。
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袋竹刀 #竹刀 #チャンバラ #井伊直弼 #幕末

大河ドラマ「青天を衝け」第八回を観終わって

【やっぱりチャンバラではいけません】
あそこまで行くと剣術への冒涜である

女子を取り合っての、道場での試合ですが、テレビ上の演出とは言え、余りにも「酷い」。
あんな、下手くそな剣術見た事ありません。まるで、子供のチャンバラ。
現代剣道スポーツのような優美さもなかったのは残念です。
先ず、袋竹刀をガンガンぶつけ合う事に、意味がありません。
栄一は、既に、躱している喜作の「突き」をわざわざ上から叩いていました。袋竹刀を叩いてないで、そのまま、伸びきった相手の身体を「逆袈裟」に斬りつけていれば、栄一の勝ちです。
その前に、喜作の「拝み撃ち」を、栄一は両手に渡した袋竹刀を使って、相手の胸元を事実上、横一文字に斬りつけています。(さらにその前に、喜作に突きを入れられていますが、有効かどうかは、映像上では疑問な所です)
にも関わらず、野球のスイングの様な、大振りな相打ちで、栄一の従兄は「喜作の勝ち」を宣言しています。しかも「二人とも腕を上げたのう」とは、片腹痛い。
【田舎剣法を舐めるな】
文久年間。京洛の不逞浪士を震え上がらせた新撰組。その中心的流派は言わずと知れた「天然理心流」でした。かの流派は「田舎剣法」と嗤われましたが、実に理に適った剣術で、やみくもに刀をぶつけ合うような、下品げぼんな打ち合いをする訳ではありませんでした。
ドラマ中の剣術を見る限り、あれは、素人剣術とした言いようがありませんね。
幾ら、剣術ドラマでは無い。とは言え実に残念な仕上がりでした。
【「嫁」の意味が違う】
栄一が、「千代を俺の嫁に欲しい」と言いますが、「嫁」とは息子の妻を意味しますので、「俺の嫁」では、現代張りに、使い方を間違っています。

kosodatehiroshi.hatenablog.com
【まるでガチャポン】
井伊大老(直弼)は、自身が四男だったことから、出世も結婚も望めず、芸術を愛する文化人として、生きようとしていた事は、別のブログ記事で述べましたが、「茶歌ポン」と呼ばれていたのは、知りませんでした。まるで、「ガチャポン」ですね。
井伊直弼役に岸谷五朗さんというのは、なかなか、はまり役かも? ここから「安政の大獄」が始まるんですね。
kosodatehiroshi.hatenablog.com

井伊の赤備え
彦根(滋賀県)井伊家の祖、井伊直政関ヶ原で一番槍を付けた武将ですが、家康から「まん千代」の愛称で可愛がられた、寵童でした。
直政を可愛がっていた家康は、武田家の滅んだあと、その遺臣を大量に召し抱えましたが、武勇名高い「武田の赤備え」をそのまま、井伊直政に付けたという事です。
徳川家で本当の兵とつわものは、ゲームでもしばしば、戦闘力100として扱われる「本多忠勝」でした。
本多忠勝大多喜城(千葉県)に行ってみたいです。
【袋竹刀】
戦国時代の剣聖・新陰流の祖・上泉信綱かみいずみのぶつなの考案した竹刀で、革製の袋の中に、笹羅(細かくした竹の束)を詰めた竹刀の事。
幕末の北辰一刀流千葉周作の発明した現代の竹刀とは違い、撃たれても、それ程痛くない。
袋竹刀は、現代竹刀よりも遥かに柔らかいので、相手を斬る感覚を得やすい。
因みに、現代剣道の「面」「籠手」「胴」「ヒタレ」等も、千葉周作の発明と言われています。
kosodatehiroshi.hatenablog.com

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