教育評論に囚われない① #教育論 #育児論 #子供

子供はいつもキラキラしなければいけないのでしょうか

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ある、育児評論家っぽい方が、ある年の大型連休の終わり頃、自宅でテレビニュースを観ておられたそうです。
画面には海外旅行から帰国したであろう、沢山の家族が映し出され、子供達がインタビューを受けている。
インタビューに対し、
「楽しかったです」とか「一生の思い出にしたいです」
など、子供達は応えるのですが、これを観ていた育児評論家っぽい方は、大変な違和感を持たれました。
海外旅行から、帰ってきたのに、子供の目がキラキラしていない。

「これって、ウソ! 子供としてあり得ない」

思わず、口走られたそうです。

「子供の目は、好奇心に満ちて、いつもキラキラしているものだ」
と、定義づけられて、キラキラしていないのは、親御さんの責任である。

的な事を仰ります。

育児論ですから、子供を責めるわけには行かない。

だから、親の責任を問う形になります。
これが、私の様なひねくれた人間なら、何も感じないのですが、真面目で素直な親御さんだと「私は子供をキラキラさせられなかった」と本気で悩んだり致します。
結果的に、育児ストレスで参っている親御さんを、さらに追い込む形になります。
そういう、育児評論家っぽい方の、無神経さを感じてしまい、私も悪い癖と承知しつつも、つい反発的になってしまいます。
そして、幾つくらいの子供達か知りませんが、インタビューに対して、大人びたコメントをしたことも、育児評論家っぽい方には、不自然に見えたそうです。
でも、子供だって、いつも好奇心に満ちているわけではないし、小学生でも高学年位になれば、大人びたコメントをしてみたくなったりします。
それに、いつも無闇にキラキラ目を輝かせていると、
「おまえ、なんか変なクスリとか、飲んでないだろな?」
みたいに、返って心配になりますよね。
慢性的にアドレナリンが、出っ放しの子供って異常ですし、本人だって疲れると思いますけど。
我が家の倅だって、私の実家に行く時は、新幹線にも乗れるし、旅の始まりにはしゃいで、目をキラキラキさせてはいますが、帰りは、大好きな新幹線に乗れる嬉しさはあっても、祭りの後の寂しさに、音無くなってしまいますしね。
逆に、いつも、どんよりしている子供も、何か心に病みを抱えているのではないか?と心配にはなります。
しかし、子供だからって、四六時中キラキラしている。させる。に拘る必要はありませんよね。
自然に任せれば、良いと思うのですけど。

「子供の目はいつもキラキラしているもの」

と思いこむ事は、大人の描く勝手なイメージを、子供に押しつけている可能性があります。
つまりは、お仕着せ…型にハメようとする行為に繋がらないでしょうか?

なんか、教育評論家、育児評論家を目の仇にするような書き方になって、申し訳なく思っております。
私だって、何も頭ごなしに、全てに反発を感じているわけではありません。

ただ、評論家っぽい方々の中には、ご自身も気付かないうちに、結果として「形に囚われている」人が多い様に感じております。
教育評論、育児評論にも、大変参考になるお話も沢山あるのも確かです。
一方で、聞き手、読み手である私達にも、責任はあって、全て正しい事の様に受け入れないで、我が家に当てはめてみる事、一度、自分の中で、内容を咀嚼してみる事が大切に感じます。

評論は評論「参考まで」に止めて置くのがベストだと思います。

子育てヒロシ的評価=三冊とも★★★

元・教師というだけあって、子供の事はよく見て来たんだろうな。と思わされる本です。
読めば「成るほど」参考になる事も沢山ありますが、自身に当てはめて、しっくりこないと思った所は真似しない方が良いでしょう。なので★三つにしました。