人斬り以蔵 #岡田以蔵 #司馬遼太郎 #幕末 #武市半平太 #土佐勤王党 #土佐勤皇党

人斬り以蔵 他

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幕末・四大人斬りの一人、「土佐・岡田以蔵」の生涯を描いた短編『人斬り以蔵』他、日本陸軍の祖と言われる「大村益次郎」の『鬼謀の人』戦国の宣伝マン「ばん団右衛門」の『言い触らし団右衛門』など、全八編を収録した司馬遼太郎先生の短編集です。
ただし、まだ消費税の無い、昭和末期に買った古本なので、現在では、収録された内容は異なるかも知れません。

【人斬り以蔵あらすじ】

土佐の城下。貧乏足軽岡田以蔵は、生れながらに異常人ともいえる筋骨を備えていた。郷士以下、下級武士に厳しい土佐藩で、これだけの異能ぶりがあっても、這い上がる事の出来ない足軽は、剣も習えない。以蔵は自作した木刀で我流に、剣を研鑽してゆく。そんな中、白札上士格武市半平太の「門人の身分を問わず」という道場が開かれたと聞き入門。我流ながら師範代・檜垣某まで打ち負かす以蔵。半平太はその異常な才能に惚れ込み、本来足軽はゆく事さえできない江戸剣術修行の遊学にまで、以蔵を連れてゆく。
幕末の政変が起き、武市半平太は、藩内の参政・吉田東洋を暗殺。土佐藩をほぼ私した後。土佐勤王党を結成。京に本拠を置き、諸藩の政敵を暗殺してゆく武市半平太だが、その暗殺の殆どに岡田以蔵は加わっていた。しかし、目に学問の無い以蔵は、坂本龍馬に頼まれたからと、半平太の敵、勝海舟中浜ジョン万次郎の護衛まで務めてしまう始末。ついには、師匠・武市半平太に「君の殺人には思想が無い」となじられ、半平太の下を去る以蔵。
やがて、藩主・山内容堂土佐勤王党の弾圧に乗り出し、武市半平太は土佐本国へ収監されるが…

【余談】

岡田以蔵といえば、肥後の河上彦斎。薩摩の田中新兵衛、同・中村半次郎と並んで、文久二年から三年に掛けて、京都で恐れられた剣客です。おそらく、野球で言えば、首位打者クラスの成績を残していたのでしょう。岡田以蔵の異能ぶりとして、中浜ジョン万次郎の護衛の際に、万次郎に、身の置き所、姿勢などの安全確保の指示を出しながら、数名の刺客を斬り伏せたといいますから、相当な腕達者だったのでしょう。
小説やドラマでは「足軽岡田以蔵」として描かれますが、岡田以蔵は根っからの足軽ではありませんでした。
元は、郷士であり、父・義平が弟・啓吉に郷士を譲り、兄の以蔵と共に軽格の足軽株を買って継いだ為に、足軽になっています。父の義平は「足軽の暮らしが、こんなにキツイとは思わなかった」と述懐しています。
土佐藩の藩風は、下士を取り立てる事はありませんでしたが、幾つかの例外はありました。参政の吉田東洋も元は、長宗我部武士。つまりは郷士でした。そして、東洋暗殺を指示した、武市半平太郷士であり、上士格とて取り立てられていました。
参政を担っていた吉田東洋が、白札郷士だった為に、同じ白札郷士の半平太は土佐勤王党に賛同してもらえると思いましたが、吉田東洋はゴリゴリの山内寄り発言をしたため、暗殺されてしまったわけです。

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