幽霊の存在を信じない私だけど #心霊 #幽霊 #稲川淳二 #琵琶湖 #アパート

幽霊の存在を信じない私だけど

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多分、私は仏教徒

なので、「幽霊」の存在には懐疑的です。
特に、日本の幽霊(海外の幽霊の事は良く知らない)。霊魂になったとたん、色んな事が出来るようになります。
逃げる車を同速で追いかけられる。
他人の身体に入り込んでコントロールできる。
他人の健康を阻害できるようになる。
ビルの一階から最上階まで、一気に登れる。
タクシーに送られたのに、そのタクシーが乗せた起点に戻ると、もうそこにいる。
等々…

生身の人間の時は、出来ないスーパーテクニックが出来るようになります。
なんでやねん。これだったら、幽霊の方が社会を支配していてもおかしくはありません。

しかし、恐い話を聞くのは好き

タレントの(最近、落語家に戻った)伊集院光さんも、幽霊は信じない方なんですが、私と同じく、怪談話を聞くのは好きなんだそうです。

やっぱり、稲川淳二さん

夏場とか、YouTubeでも結構観てます。稲川さんのお話は殆ど知っている位ですが、最近、ポスト稲川的に、怪談話の上手な人が沢山居らっしゃいますね。
でも、やっぱり稲川淳二さんの上を行く人は、なかなか現れません。稲川さんの語り口調は上手ですよね。面白い人でもありますし。

そんな私が唯一、気味の悪かった体験をします

話そのものは、結構長いので、出来るだけ手短に書きます。
京都に住んでいた学生時代。友人の一人に「T」という大男が居ました。
女子からは「霊感がある」と言われていた男でしたが、本人は否定。
学校が夏休みに入ろうか、という七月中旬「T」は、京都郊外に格安のアパートをみつけて、引越ししました。荷物は少なかったので、自分で軽トラックを借りて、二往復して引っ越し完了。最後は原付に乗って「じゃあなぁ」と新居に向かった「T」でしたが、その夜。
八時位だったでしょうか、私のアパートに「泊めてくれ」とやって来ます。
私も、当時、「岩倉」に住んでいたので、「T」の新居からは比較的近かった事も有ります。
「どうした?」驚く私に、「いや、バイト先から帰るのが面倒になって」と言いますが、まだ、八時だし、「お前、今、バイトしとらんやろ?」というと、煮え切らない返事を返してきました。
そして、なかなか、新居に帰りたがらない「T」
「おまえ、自分の部屋に遺体を隠しとるんちゃうか」(当時、有名大学の学生が、自分の部屋に女性の遺体を隠し続けていた事件が本当にあった)
冗談半分で友人たちと語っていると、「T」は「あの部屋、誰か居んねん…」と言い出します。

風呂場に響く水の音

「T」が引っ越したその日。部屋をある程度片づけて「そろそろ風呂に入るか」と思って、共同の風呂場に行くと、中から水の音が聞こえたので、「あれ? 誰か入ってるのか」また後で入ろうと思います。アパートは住人の数が少ない上に、学生ばかり。夏休みの帰省で人は居ないはずでした。
暫くして、行くと、また水の音がする。「別の誰かに先を越されたか」と思いつつ、三回目の時に、また、風呂場から水の音がしています。
ちょっと怖くなったのが、日が落ちて暗くなっているのに、風呂場に明かりが点っていない。「水音は気のせいか」と思っても、余りにもはっきり聞こえる。思い切って外から声を掛けてみても、返事がないまま、水を浴びる音だけがする。
良く見ると、アクリルの曇りガラス越しに、内側のカーテンも引かれていない事が分かります。ドアの内側に一畳分ほどの更衣室があり、その先が、またアクリル製の曇りガラスのハマった、浴室へのドアがあります。横手の脱衣籠用の棚にも、衣服が無い。
薄暗い中、水の音ははっきり過ぎる程に聞こえますが、人の姿があるようには思えない。
「誰か入ってますか?」何度も尋ねるが、返事もない。「開けますよ」と言っても、水音だけで、返事がない。「T」が思い切って開けてみると、誰も居ず。ステンレス製のシンクの中に、木製の蓋が二枚、斜めに入れられ干されている。古めかしい床のタイルも、濡れている様子も無かったそうです。

お前誰や?

恐くなった「T」は、濡らしたタオルで身体を拭き、部屋を少し片づけたんですが、その時に既に、部屋の中に姿の見えない、人の気配があったのだそうです。
「気のせい気のせい」言い聞かせながら、気分を切り替えたくて寝ようとし、目をつむると、部屋の隅から人が這って来る気配があって、顔の直ぐ斜め前で「お前誰や?」と声がしたそうです。驚いて跳ね起きた「T」は電気を点けたまま、鍵だけを持って、原付で私の所に逃げてきた。という訳でした。

ホンマかいや?

「T」の話を聞きながら、殆ど笑っていた私達でした。
車を持っている友人に車を出してもらい、原付の「T」を含めて、五人でそのアパートに向かいましたが…

アパートというには…

黒々とした建物で、古い小学校という印象の建物でした。
「T」の部屋に入ると、部屋は広いが、先ず、押入れが無い。窓枠は、後からはめ込んだアルミサッシでしたが、外の木枠には鉄格子のハマっていた穴が開いていて、中に土埃が溜まっている。
部屋の隅に人が座っている気配を感じて、友人たち全員が振り向くという場面もありました。
建物は、終戦直後まで「精神病院」(近所に今でも有名な病院がある)だったらしく、だから、鉄格子の跡があり、押入れも無かったようです。

天井の隅に…

「死鬼比」と墨書された文字がありました。「T」は引っ越した時に見つけたそうですが、「鬼」の真ん中に、頭の赤い、古く、錆びたマチ針が刺してありました。朽ちた、黒い木綿糸が巻き着けてあります。
なんとも、気味が悪かったので、私たちは「T」に「…お前、ここ、引っ越した方がエエぞ」と勧めました。市内の学生相手専門の不動産屋に当たり、新しいアパートを見つけると、友人たちと引っ越しを敢行いたします。「気味悪いので、手早く引っ越そう」という事になり。
「十分で片つけよう。作戦名は〝10ミニッツ・オペレーション〟」と致しましたが、段ボールに小物詰めたり、布団袋に布団詰めるなどしていると、結局は、一時間以上掛かってしまいましたね。

「死鬼比」「しきみ」

三十代の半ばになって、偶然「しきみ」の存在を知る事になります。「シキビ」とも言い、仏式の葬儀に使われる植物で、宗派によって解釈も色々ですが、邪気を払う意味もあります。
「死鬼比」は当て字だったと思われます。
「シキビ」は基本、対に飾られる物らしいく「T」の部屋は、東の一号室だったので、対として一番西の部屋の天井にも書かれていたのかも知れません。

後日談でもないけども

そんな、気味悪い体験があってから、およそ一月後。
田舎から、女の子連中も返って来て、琵琶湖畔の民宿に皆で泊まりに行った夜の事。怪談話になって、「T」の部屋の話になった時。生臭い匂いが部屋中に立ち込めました。琵琶湖南部は植物性プランクトンが発生する事が多いので、生臭い空気も珍しくはないんですけど、その時は魚系の生臭さでした。
「T君から匂いがする…」
女の子の一人が言い出し、言われれば、そんな気もしました。「T」を見ると、巨体で体育座りをし、目の瞳孔が開いたみたいになって、気を失ったような状態になってました。
揺さぶると正気に戻りましたが、戻った途端、あれほど生臭かった匂いも消えてしまいました。
幽霊をはっきりと見た訳ではりませんが…これが、唯一、私の経験した、気味の悪いお話です。

【因みに】稲川淳二さん

優れた工業デザイナーさんでもあります。というか、そっちが本業。駐車場にある「車止め」も稲川さんの手によるデザイン。ほかバーコードリーダーとか、新幹線の検札機、建築物のデザインもされていたりします。「東京デザイナー学園」講師でもありました。
今から三十年余り前
「俺たちひょうきん族」に稲川さんが出られていた頃、タレントとしても、売れっ子だった稲川さんはラジオ番組のパーソナリティーもやっていました。番組の中で、奥さんの事に言及。
ある日、仕事から帰っている途中、家の近所の十字路を、稲川家のベビーカートが猛スピードで通り過ぎようとする所に出くわします。奥さんの姿は無し、ベビーカートだけが、猛スピードで走っている。
稲川さんはとっさにカートを捕まえると、中には乳飲み子の我が子乗っている。
カートの走ってきた方を見ると、ローラースケートを履いた奥さんが、電柱に掴まっていたそうです。「ローラースケートを履いて、ベビーカートを押すなんて危ないじゃないか」と叱ると、奥さんは「あ、私なら大丈夫」と言ったそうで、「そうじゃない、子供を危険に晒すな」と言うと、奥さんは、「私の事は心配じゃないんだ…」と言って怒り始めたそうです。
「もう、一緒に住めない…」という奥さんに、稲川さんも「勝手にしろ」みたいになります。
そして何日か後、帰宅すると、自宅の玄関に、段ボールの山、引っ越し業者も来ている。
「ああ、本当に出てゆくんだな…」と思って、荷物を見たら、全部、稲川さんの物。
「おい、これ、どういうことだ?」と奧さんを問いただすと、「ここには、私と子供が住むから、アンタ出て行って」と言われたそうです。
それから、三十年余り、奥さんも引っ越していったそうですが、未だに離婚もしておらず、しかも、向こうは稲川さんの住所を知っているのに、稲川さんは家族の住所を知らないという日々が今も続いて居るそうです。
「怖いなー、怖いなー、こういうのが、本当に怖い話なんですねぇ…」と、先日、稲川さんがラジオで言っておられました。

【さらに因みに】

現在の関西地方は分かりませんけど、私が関西に住んでいた頃は、アパートは大変借りやすかったものです。
「敷金」はともかく、「礼金」制度がありませんでした。
京都等は、学生が多い町だったので、敷金でさえ要らない物件も沢山ありました。
就職し、上京した時。アパートは会社が借りてくれましたが、「敷金」の他に「礼金」がある事に驚かされます。
しかも、共に二か月分が普通、「関東人の方がガメツイ」と思ったものです。
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