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福島県郡山市に出張で

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この季節に成ると思い出す事

一番最初に勤めていた会社での事です。
ある年の年末。まあ、正しくは十一月の下旬でしたが、次長と一緒に、福島の郡山支所に出張した事がありました。
郡山は十人に満たない程の、小さな支所でしたが、その中に、以前、東京本社に出張してきた事もある、ハットリさんという、当時25、6歳の男性が居りました。
少しやせ型で、大変人懐っこいフレンドリーな方。私達の郡山出張を知ると、熱心に、
「郡山では、是非、ウチに泊まって下さい」
と勧めて来たので、次長も私も、ビジネスホテルを予約しないで、ハットリさんのお宅に泊めて頂く事になりました。

郡山に着き

仕事終わりに、三人で居酒屋で食事を済ませると、ハットリさん宅に向かいます。
借家ながらも一軒家だと言います。当時の郡山って、なんと言いますか、駅前に繁華街がギュッと集約されたような感じで、少し郊外に向かって歩くと、直ぐに田園地帯が広がっていた様に記憶しています。
空っ風の吹く中、ロクに街灯もない、田園地帯の一本を歩いてゆくと、ポツンと小さな一軒家がありました。バーナーで炙ったような板が、外壁に使われた黒い家でした。(昔は防水の為に表面だけ炭化させる技法があった)
来た道を振り返ると、遠くに郡山のギラギラした街明かりが見え、空を見上げると、米粒の形をした月が出ていたのを覚えています。

部屋の中に雪が降る

玄関と三~四畳ほどの部屋に続いて、八畳位の部屋に、横に二畳分程広がった台所と、小さな風呂とトイレがある家でした。北国にしては随分粗末な…というか、防寒の甘い作りの家で、次長等は冗談に「自分で建てたのか?」と聞いた程です。
異常に寒い部屋で、一人用みたいな小さめコタツが一台置いてあるだけの部屋でした。
それでも、ハットリさんは慣れているらしく、ちょっと厚手のスウェットに厚手の靴下、半纏で平気な様子です。
私も次長も、部屋の中で、歯の根も合わない位寒い。
台所で何やらやっているハットリさんが、「あ、ビールでも飲みます?」と言った時、次長は「君は俺たちを殺す気か?」と震える声で言ったものです。
確かに、あんな寒い部屋でビール飲んだら、凍死したかも知れません。
台所仕事をしているハットリさんを余所に、次長と二人で向かい合わせにコタツに座っていると、ふと、部屋の隅に「ふわっ、ふわっ」と何やら、吹き込んで来るものが見えました。
「次長、あれ、なんでしょうね?」
私が指さすと、次長も、
「何なんだろう?」と興味を示します。
ふわふわしたものは、極小のレースのカーテンの様にも見えました。
私がいざって見に行くと、それは、なんと、外から吹き込んできた「雪」でした。
さっきまで、月が出ていたのにいつの間にか雪が降り始めていたようです。
「次長! 雪です! 部屋に雪が降って居ます」
しかも、溶けずに少し積もっている。
「ええーっ? 福島では部屋の中に雪降るのか?」
沖縄出身の次長は、本気で驚いていましたが、「福島」だからではないでしょう。
「ハットリさんの部屋だけだと思いますよ」
「ハ、ハットリ君。部屋の中に雪積ってるぞ」
「あ、そこ、隙間風入るんですよね」
隙間風とかじゃなくて、部屋に雪が降っている事が問題で、しかも溶けてない部屋の寒さに問題があります。ハットリさんは、軽くその場の雪を払うと、隙間にボロになったタオルを詰めて対処するだけ。

まるで野宿。室内「八甲田山」状態

ハットリさんに風呂を薦められましたが、風呂から出たらそのまま凍りそうな恐怖を覚えたので、出してくれた布団で眠る事にしましたが、多分、干したことも無いんでしょうね。
これがまた、キンキンに冷えている。
慣れているハットリさんは、直ぐにイビキをかいていましたか、次長と私は寒くてとても眠れたものではありません。布団の中で、カチカチ震えながら、冗談に、
「寝たら死ぬぞ」
とか言い合ってました。
寒さで、なかなか寝付けませんでしたが、随分経って、寝付いたと言うか、寒さで、気を失ったんだと思います。

「今夜もウチに泊まりませんか」

翌日、睡眠不足の私たちに、ハットリさんは、
「昨日は楽しかったですね。今日もウチに泊まりませんか?」
と呑気な事を言ったので、次長もさすがに、
「いやっ! 今日は、ホテルに泊まる! 子育て君、駅前のホテルに予約取ってくれ」
慌てたほどでした。

石油ストーブとか無いのか

「あんな極寒なのに、石油ストーブとか無いのか?」
次長に聞かれると、ハットリさんは、「灯油をあそこ迄、運んでもらえなくて」と言っていました。代わりに、電気ストーブはあると言っていましたが、まだ、出すほどでもない。とも言っていましたね。
南国育ちの次長と私にとって、野宿と変わらないハットリさんの部屋でしたが、家賃が恐ろしく安く、光熱費別で五千円だと言っていました。当時としても、格安と言えば、超格安ですが、あの環境では高かったかも知れません。

「ある意味、事故物件ですね」

と言うと、次長には受けました。
「しかし、命の値段が、月五千円か…」
そんな事を思ったほど、ハットリさんの一軒家はサバイバルな環境でしたね。
翌日、ホテルに泊まった時は、まさに地獄から天国へ移った気分でした。
毎年、晩秋になると、あの極寒のハットリ邸を思い出します。
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