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性的少数者への差別発言の首相秘書官更迭へ


岸田首相の秘書官が
性的マイノリティーへの差別発言で更迭。要するにになった訳ですが、「脇が甘い」というか「脚をすくわれる」発言ですね。
「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」
という発言の後、「だけれども…」と続くようでしたが、報道では件のセリフだけが、切り抜かれて報道されました。
「切り抜き報道」は、読者、視聴者の興奮を煽れるので、マスコミが良く使う手ですが、悪い習慣です。秘書官も、自分の主観は語らずに、性的マイノリティーへの取り組みだけを語れば良かったのに、余計な事を言ったものだと思います。
そもそも、日本では
性的少数者への差別はありませんでした
少なくとも、明治中期~後期位まで、日本で衆道しゅどう(同性愛)や「お釜」性同一性障害への偏見は希薄でした。
戦国の昔。信長や家康は明らかな両性愛バイセクシャルでしたし、武田信玄はおそらく完全な同性愛者であったと思われます。同性に宛てた夥しいラブレターが残って居ますし、三角関係に悩み、言い訳の手紙も沢山残って居ます。正室(女性)を持ったのは「子孫を残すため」我慢していた観がありますね。
他、日本初の教会建設を許した、周防の大内義隆は、フランシスコ・ザビエルから男色を非難されて、激怒しています。「殿は地獄に堕ちます」と言われたそうですが、家臣の陶氏に滅ぼされるという、ある意味本当の地獄に堕ちましたけど。
歌舞伎の創始者出雲阿国いずものおくに」も、男性の夫が居ましたが、女性の恋人も居て、四条河原で催されていた歌舞伎踊りのメインイベントは、恋人とのレズビアンショーでした。
一神教徒からすれば、日本の性風俗はまるで「ソドムとゴモラ」の世界に見えた事でしょう。
江戸時代に入っても、小説「好色一代男」の中で、主人公は女性の方が好きだけれども、数十人の男性とも関係を持っています。
幕末においても、英雄英傑の同性愛話は枚挙にいとまない所ですが、何故、これら同性愛が現代では「気持ち悪い」という感覚になったのでしょうか?
欧州列強と対等に付き合う為
一神教社会の欧州列強に相手をしてもらうには、彼らが「野蛮」と見る習慣を改めねばなりませんでした。
例えば、太古から食人の習慣のない日本人が「食人族」に交流を求められたとしたら「まず、食人の習慣を改めてください」という感覚と同じです。食人の習慣は受け入れがたいでしょう。
聖書を読んだことのある方なら、解ると思いますが、「ゴッド」は同性愛者、身体障害者と、生理中の女性を激しく嫌います。
元は遊牧の神様なので、財産(家畜)の増えない同性愛や、遊牧作業をこなせない身体的ハンデ者を嫌います。壮健な青年こそを「尊し」としました。
欧州では、差別される側が必死に戦って、少しずつ、これらの差別を無くしてゆきましたが、植民地時代に一神教の広まったアフリカ諸国の中には、未だ二十~三十代の男性が優先され、一神教の悪しき差別文化の残る地域もあります。
因みに、農耕社会の日本では、身体的ハンデを持つ者に対し、全く差別が無かった訳ではないでしょうが、夫々それぞれに出来るパートを与えて地域で養うという、救済措置の仕組みがあって、私が幼少の頃はまだその名残りはありました。
源氏物語」が逆輸入
そもそも、日本で同性愛者は性的少数者だったのか?
少し疑問な所もありますが、何年、何十年も掛けて教育を施し、明治の終わりころには、偏見視される様になりました。
性的少数者への差別は、教育によって生み出された訳です。
江戸時代末まで、貴族や武士、大百姓、大商人などの教養のひとつとして読まれていた「源氏物語」も「ふしだらな小説」として、忌み嫌われるようになりましたが、皮肉にも欧米で大人気になり、日本人が知らない事の方が、おかしいと言われるようなったのは面白いですね。
【余談】
豊臣秀吉は、大の女好きで、男色の気が一切無かったと言われます。
「そんな、殿下でも、絶世の美少年をあてがえば、手をつけるのではあるまいか」
家来たちがいたずらに、絶世の美少年を秀吉に謁見させると、秀吉は少年に見とれ、その手を取って尋ねます。
「そちに、姉は居らぬのか?」
当時としては、珍しく徹底した女子好きだったんですね。
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