鬼畜の「徳川信康」 #徳川信康 #徳川 #信長 #家康 #築山御前

鬼畜の「徳川信康


どう描く信康
ドラマ的に、もう直、家康の息子、信康の初陣を迎えると思われますが、新解釈「どうする家康」の中で、どう描かれるのでしょう。
信康は、信玄亡き後の、「長篠の戦い」に参加。確か、これが初陣となります。その後、対武田の合戦で勇猛果敢な働きを見せます。長篠後、高天神城攻めに築城した横須賀城。「横須賀城の戦い」の退却戦では、殿軍を務め、武田軍に「大井川」の渡河をゆるさない程、兵の進退にも才能を発揮してゆきます。
その一方で、鬼畜の残忍さ
有名な所では、領内の盆踊りで、「服装の貧相な者」「踊りの下手な者」を遊び半分に、弓で射殺したとあります。後に、信康を庇う弁として「信康公は彼らが敵の間者と見抜いて射殺した」というものがありますが、にしても、一般市民の犇めく盆踊りで、いきなりの射殺は、神経を疑われても仕方ありません。
もう一つの、有名鬼畜話。
「狩りで坊主に出会うと獲物が減る」
当時、こんな迷信がにありました。
ある日、信康が鷹狩りに向かう途中。一人の僧侶とすれ違います。
「これから鷹狩に向かおうというのに縁起でもない」
腹を立てた信康は、家来に命じて僧侶を縛り上げ、嬲り殺しにしてしまいます。
後日、信康は謝罪した。というお話もありますが、事は、辻斬りの様な殺人。幾ら、戦国の世とはいえ、謝った位で済む問題でもなさそうです。
他、妻に対するマタハラも
織田家・徳姫が二人続けて女児を産んだ事にも腹を立ています。
気性の激しさは義父・信長に似ているが
信長の激しさには、それなりの正義があります。
人身売買や、売僧による信者を慰み者にする行為に対して処罰は苛烈でしたが、社会的正義は感じます。しかし、信康の烈しさは、どれも自分の感情、気持ちを害した怒りでしかありません。
信康の鬼畜行動を諫めた家臣に対しても、腹を立てて殺しています。
そんなだから
徳姫が父・信長にチクリ、信長もその真偽を確かめるために、家康の家臣たちを呼び寄せて聞きただします。
家臣は、信康を庇うことなく「間違いございません」と答えていますね。
ドラマ中の信康少年は好人物ですが、これから豹変するのか、新解釈では誤解で切腹するのか? ちょっと楽しみにはなりました。
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