七人の侍 #黒澤明 #三船敏郎 #侍 #七人の侍 #戦国時代

七人の侍「The Seven Samurai」

日本 1954年4月26日 公開
イタリア 1954年8月 公開(当時としては異例の速さ)
フランス 1955年11月30日
アメリカ 1956年7月
上映時間 207分

日本公開から六年、アメリカ公開から、わずか四年で、リメイク作品「荒野の七人」(米国)が作られた。

子育てヒロシ的評価=★★★★★
農民のイメージを世界と後世に植え付けた恐るべき秀作

黒澤明作品は、決して小難しい芸術作品ではあれません。エンターテインメント作品です。
言わずと知れた、黒澤明監督作品で、アメリでも「荒野の七人」でリメイクされ、大ヒット。
「続・荒野の七人」が作られ、続編全てで四作も作られました。
「黒澤映画は芸術過ぎて難しい」という方が居られますが、そう言う方は、多分、黒澤作品を一本も観ていないでしょう。
黒澤明監督は、世界の映画祭で様々な賞を受賞されているので「芸術」のイメージ…まあ、芸術には違いありませんが、小難しいというイメージがあるのでしょう。

【あらすじ①】

時は、戦国。野伏せり(野武士)の略奪に苦しめられている、とある山村。村人達がその対策に苦慮し、ついに戦闘のプロ「侍」を雇う事を決める。しかし、侍への報酬は、雇用期間の食事の保証のみ。侍探しに山を下りる数名の村人。宿場町で侍を探すが、侍の良し悪しが解らず、交渉時の食事を食い逃げされたり、恫喝されたりを繰り返す。そんな時、強盗(東野英治郎)を退治する侍「島田勘兵衛」(志村喬)と出会う。最初、勘兵衛も断るが、百姓の苦しみを理解し引き受ける。村の様子からして「七人の侍」は必要である。島田勘兵衛の侍探しが始まる。

【あらすじ②】

六人の侍と農民上りの半侍「菊千代」(三船敏郎)が集まり、「島田勘兵衛」「片山五郎兵衛」(稲葉義男)の指揮のもと、村を要塞化、村民を戦士として訓練してゆく。そして、収穫の季節、野伏せりがやっくる。七人の侍の指揮のもと村人と、四十人の野伏せりの死闘が始まる。

【こぼれ話】

戦国時代の百姓

作品中では農民=百姓たちは、終始オドオドし、成す術もなく、野伏せりに怯える風に描かれています。野伏せりとの戦いも、我慢の末にブチ切れた様に描かれていますが、実際の戦国時代の百姓は狂暴で勇猛でした。そもそも、武士自体が、百姓の親分で、信長が提唱した兵農分離、秀吉の刀狩りも、実際完結したのは徳川時代に入ってから数十年もあとの事です。大坂の陣真田幸村と一緒に、大坂城に入城した兵も大半が九度山付近の百姓達で、彼らは、普段から、槍、刀、具足、鉄砲を所有していました。

竹槍

七人の侍の中で、百姓たちは、竹槍を武器に戦いますが、鋼 はがねの穂先を持たない竹槍では、本格的に武装した兵士には先ず通用しませんでした。槍の突きが有効なのは、平服の時で、鎧武者には、重くて硬い鋼の穂先が必要になり、殴ったり、叩き伏せる方が遥かに有効でした(検証では、鉄砲を50メートルの距離から撃った程の威力に匹敵してました)。結局、竹槍は突き技しか出来ないので、鎧の隙間を巧妙に突く位しか出来ない上に、穂先を火で炙って多少強度を増したモノを使っても、竹槍の先端は弱く、人体を二、三度も突けばささくれて使い物にならなかったそうです。幕末の記録に、上州(群馬県)で渡世人同士の大きな喧嘩がありますが、この時は竹槍が使われています。この喧嘩は、互いが平服だったので、凶器として成立した様ですが、いくさの武器としては使えませんでした。
しかし、こうした百姓のマジ切れ行動=竹槍武装というイメージも、黒澤演出の影響といえます。

落ち武者狩り

時代ドラマや「信長」という漫画の中でも、落ち武者狩りをする百姓たちは、平服に手ぬぐいの様な、ほっかむりをし、竹槍武装している体で描かれていますが、戦国時代の農民は、同時に兵士でもあったので、落ち武者狩りの際は、甲冑姿に鋼の穂先の着いた槍で、作戦的に落ち武者を狩っていました。

農耕民族を見下げる感覚

歴史的な本を読んでいると「土地にしがみつく農民と違い、商人は…」という、表現があったりしますが「しがみつく」という言葉に、百姓に対する無意識の侮蔑が見て取れます。個人的には「定住しなければ成り立たない農業と違い、商人は…」というのが正しいと思います。
他にも、家庭の医学的な番組で「日本人は農耕民族なので、下(土)を見る体形になっていて、どうしても両肩が内側に萎む様になります」とか言ってたりします。こうした、農耕民族に対する無意識の侮蔑も、まあ、七人の侍からのイメージが受け継がれているのではないかな? と思います。

しかも、滑稽な事に、ヨーロッパ人を「狩猟民族」日本人を「農耕民族」とする向きが現代でも、結構、横行してますが、ヨーロッパ人も立派な農耕民族です。現在も、農産物の多くは欧米で生産されています。農耕という定住生活をし、余剰生産が出来るようになったために、財産を守る戦い、良い土地を狙う侵略の戦いが生れたわけです。日本の戦国時代も初期の戦は、そうしたもので、一種の公共事業でもありました。
「ヨーロッパの方が狩猟民族の歴史が永い」と言った人も居ましたが、狩猟民族の歴史もヘタすれば日本の方が永いですし、狩猟民族は獰猛、勇猛だから狩猟するのではなく「農業という文明を知らない」から、狩猟をやるしかないのであって、誉め言葉のつもりで、欧米人に「狩猟民族」なんて言ったら「馬鹿にするな」と怒られる事もあるので、マジ気を付けましょう。
【補足】ヨーロッパ人を「狩猟民族」とする感覚は、大航海時代の侵略行動が多さや、自己の主張の激しさ、外に向かって勢力を広げた事から、イメージされたものだと想像しています。

まあ、これら、農耕民族に対する侮蔑的イメージは、明らかに、60年以上前の黒澤明演出の影響が残っていると言えます。
因みに、言っておきますが、黒澤明監督が、悪いといっている訳ではありませんよ。映画の演出を鵜呑みにした視聴者側に責任があるのです。
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