高杉晋作という漢 #高杉晋作 #幕末 #明治維新 

大河ドラマ「青天を衝け」第十回を観終わって

江戸っ子は宵越しの金はもたねぇ…ではなく、持てねぇ…だった

江戸時代を通して、江戸の物価は高かった
高杉晋作

ドラマの中で、横浜の異人達エイリアンのせいで、江戸の物価が高騰しているという件がありました。
確かに、その通りでしたが、黒船来航以前も、関西等に比べると、江戸の物価は高いものでした。
理由は、物資の殆どが、大坂表から廻船でやって来る事。
輸送費が上乗せされるので、どうしても物価は高くなり、庶民の懐はいつもピーピーでした。
「江戸っ子は宵越しの金はもたねぇ」のセリフは、江戸っ子の、やせ我慢だったんですね。
しかも、江戸近郷で、上方に匹敵するだけの製品が作られる様になったのは、江戸後期も後期。1800年代、十九世紀に入ってからです。
清酒等も、桃山時代末年に、大坂伊丹では、既に、大量生産に入っていましたが、江戸近郷で造れるようになるのは、十九世紀に入ってからです。
江戸周辺で色々作られる様になっても、やはり、上方から来る製品は「下りもの」として、上等で人気でした。
上方から、落語家等がこぞってやって来るのも、十九世紀に入ってからです。
【上方のお酒、その、こぼれ話】
上方から来るお酒は、上等でしたが、江戸に着くころには高値に成りました。
高価な為に、質の悪い居酒屋等では、水で嵩を増してお客に出していました。
余りに薄めすぎて、全然酔わないお酒を嗤い。
「この酒の中で、金魚が泳げるぜ」
口の悪い客などは、からかっていたそうです。
【来週は「横濱焼き討ち計画」】
横浜の焼き討ちは、確か、高杉晋作主導の下、久坂玄瑞井上聞多(井上馨)、伊藤博文(初代・内閣総理大臣)らによる、英国公使館への放火事件ですね。
江戸に居た高杉らは、一度は、毛利のお殿様に説得されて中止しますが、毛利からの勅使が長州に帰った後、実行してしまいます。
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高杉晋作という漢】
聡明で、勇気も、知略もあり、単なる攘夷馬鹿ではありません。何よりも、長州奇兵隊(武士、庶民混合の戦闘集団)を組織するなど、リーダーシップに富み、組織を作る名人でもありました。
上海の現状を視察し、刀槍を振るうだけの「攘夷」では、とても西洋列強には勝てない。という事も、よくよく理解していた人物でした。それなのに、何故、英国公使館を焼き討ちしたのでしょう?
「兎に角、一発かましたるんじゃ」
という、考えが有ったようです。この考えは、まんざら的外れでもなく、薩英戦争にも見られるように、一発かます事で相手に一目置かせる。という効果がありました。
私人による喧嘩等でも、大人しくし過ぎると、話し合いでも舐められてしまいます。それと同じですね。
高杉晋作は、有名な割に、ドラマ等で余り取り上げられないのは不満な所ですが、どこか、悪童悪戯っ子のような痛快児な印象が有ります。
彼は「薩長同盟」の立役者の一人、中岡慎太郎と「漢詩」を通じての親友でした。
以前、記事にしましたが、その親友・中岡慎太郎が、薩摩のエージェントとして高杉晋作の元に、現れた時「万一、幕府に同盟工作が漏れた場合。素浪人が勝手にやった事」として、尻尾切りを考えている薩摩の狡さを看破して、親友に会いませんでした。
この時、桂小五郎に遣わされた坂本龍馬は、小五郎と会う事が出来、その事実が名作「竜馬が行く」に繋がることになります。
青少年にオススメの名作・竜馬が行く

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