朝鮮出兵 #大河 #どうする家康 #家康 #秀吉 #スペイン

朝鮮の役


家康は狡い
というより、ドラマの作り方が狡いですね。
大政所おおまんどころ」の宿舎に薪・藁を積ませ、万一の時は焼き殺すよう、事細かに指示したのは、紛れもなく家康その人であるのに、ドラマではまるで井伊直政の独断であるかのようにやらせました。
そこまでして、家康を良い人にしたい。こん、大河の狙いって何なんでしょう?
新説、秀吉、朝鮮出兵の意図
ドラマでは、もう与える土地が無くなった為、「大明」に討ち入ろう。とイメージさせています。
私の尊敬する作家・司馬遼太郎先生も小説「関ヶ原」の中では、同様な事を書かれています。
しかし、ここ十年ばかり前から、スペインの国立図書館で、日本の戦国時代~江戸初期、イスパニア現・スペインは日本をどう見て、どのような戦略で日本を取り込もうとしていたか、の資料が沢山発見され、その見方は変わって来ています。
十六世紀。イスパニアは世界に侵略の手を伸ばし、世界最大にて最強の国。その広大な領土のどこかに、いつも太陽がある事から「太陽の沈まない国」と言われていました。
1597年、土佐沖のサンフェリペ号事件、長崎の二十六聖人の処刑の十年以上も前から、秀吉はポルトガル人が国内で戦略的な動きをしている事に気づいています。
1580年、ポルトガルは既に、イスパニアに併合されていて、日本国内で走狗の様な働きをしています。
イスパニアに脅威を感じた秀吉は、1591年。「朝鮮出兵文禄の役」の前年に、イスパニアフィリッピンフィリピン(フィリップスの島)の守が甘い事を知り、進攻計画を立てると同時に、当時「明」から「化外の地」(明国ではない)とされていた台湾を勢力下に置こうとしています。
この時点では「明」よりも、イスパニアとの関係が緊張状態にありました。
当時、ヨーロッパでも、日本が鉄砲保有数世界最大である事は知られていて、百年続く戦国の世で、戦慣れした武士がゴロゴロしている事も知られていましたから、イスパニアも直接の衝突は避けたかったようで、フィリッピン総督は日本と何度も交渉し、朝鮮渡海の前線基地「名護屋城」の秀吉に宛てて、フランシスコ会宣教師を使者として送ってもいます。
秀吉が「明」征服を考えたのは、対イスパニア政策として地政学的に抑えて置きたかったのかも知れません。
しかし、「朝鮮の役」に関しては、戦略的にも往年の秀吉の冴えはなく、彼に似つかわしくない泥沼の消耗戦を展開してしまいます。恐らくは、老耄していたのだろうと思います。
関ヶ原」以降
宰相が家康に変わった事で、イスパニアは日本を、「明」侵略の「戦力」として取り込もうと画策しています。家康自身も、イスパニアとの貿易を望んでいましたが、「キリスト教布教とセット」である事に難色を示し、「布教はせず貿易のみ」とする、プロテスタント国、イギリスとオランダを選び、イスパニアポルトガルと断絶してしまいます。
江戸時代に入ってからも、幕府によるフィリッピン侵攻計画は継続されていたようで、1630年に、松倉重政によって侵攻準備は進められていましたが、重政病没の為に計画は中止されています。その七年後、「島原の乱」が起こり、嫡男・松倉勝家が戦っています。
想像ですが
「朝鮮の役」は単純に領土的野心だけで起きた戦争ではなかったのかもしれません。
見様によってですが、日本とイスパニアは、水面下で六十年位戦っていたのかも知れませんね。
以上は、私の個人的な想像でしかありませんが、イスパニアの対日計画資料については、NHKでも取り上げていたので、ドラマでも、もう少し、取り入れてあげればよいのにとも思います。
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