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映画「ステップ」


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映画「ステップ」主演:山田孝之

妻が夭折し、若くして、シングルファーザーとなってしまった夫。一人娘の育児に奮闘しながら、自身も娘も、親子、家族として成長して行く物語。

内容そのものは、割に淡々としていて、「子育ての苦労も人それぞれだろう」と思いながらも、「現実は、もうちょっと厳しいかな」と思う所も在りました。
しかし、観ていて、子育て期の苦労と楽しさを思い出して泣いてしまいました。
映画の中では、会社の子育てシフトを利用して働く主人公。
同僚の助けを得ながらも、時には残業でお迎えが遅く成る。苦労のシーンは描かれていましたが、「子供の病気」の事は描かれていませんでした。
私の場合、保育所からの「お熱が出ました」が最も怖かったものです。
38度を超えると、保育園では預かれないので、お迎えに行かねばなりません。
職場に電話が入れば、まだ言いやすいですが、携帯に入ると「あの…子供が熱を出しまして…」言いづらい上に、十数年前はまだ「えーっ?」みたく、正社員上司の中には、あからさまに不機嫌になる人も居ました。因みに、それは、男性社員とは限りません。
男性社員でも理解のある人は居ましたし、女性社員でも無理解な人は居ました。
朝、出掛けに熱を出されて、急に仕事を休まなければならない事もありました。
全国の子供間で「結膜炎感染症」が流行った事があって、我が子も罹り、二週間も登園禁止になって、仕事を休まざるを得なくなりましたが、結局、それが原因で解雇された事もあります。(病気の子供を預かってくれる病院もありましたが、少ない上に、感染症の場合、早い者勝ちで、一人しか預かってもらえませんでした。)
しかも、同じ職場の「ママ」さんたちも、二週間休んだ人は居たのに、私だけ、
そういう事情子育て事情を抱えたは、雇わない事にした」
部長→課長→係長伝に言われました。
悔しいやら、辛いやら、男親子育ての孤独を感じ、疲れ果てて、自転車の後ろに倅を乗せて、夕方の江戸川土手をベソかきながら、総武線の電車を二人して見に行ったものです。
「…負けて堪るか」
そんな事を呟きながら、倅と電車を眺めていました。
まあ、そんなでしたから、子供が小さかった頃。小学三年生位までは、安いライターの仕事とか、コールセンターでアルバイトする事が多かったですね。当時のCCは、ストレスも半端在りませんでしたが、そのぶん時給は良く、一、二時間位から働けて、急用で帰っても、残った人たちでカバーしてもらえる所は良かったですね。
その代償の様に、ストレス性不整脈を患ったりもしましたけど。現在はカスタマーハラスメント問題も取り上げられていますから、それほどストレスは無い業界になっているかも知れません。
小学校に上がっても、小学生の「一人早退」はさせられないから、学校で発熱すると、迎えに行かなければなりませんでした。保育園時代より少なくなりましたけど、何度か仕事を早退して迎えに行った事はあります。
高学年になって、病気の心配も少なくなって、やっと、一日八時間くらいの仕事に就けるようになりました。
現在は、幾らか、男の子育ても支援してもらえる時代になったのかな? なって居ればよいなと思います。

昔の子育て

よく、隣近所の「子育てコミュニティー」があった様に報じられたりしますが、実際、昔の子供って、両親はほったらかしで仕事に出かけ、親が帰って来る迄、近所の子供たちが自主的に集まって、何やら一種の子供自治体の様な、寂しさを紛らわせるコミュニティーを作っていたような気がします。
子供が乳飲み子だったりすると、さすがに、母親は家に居たりしましたけど、藁で編んだような駕籠の中に布団を敷いて、野良仕事連れて行く光景もありました。
無くなったとしたら、子供をほったらかしに出来ない時代。子供たちだけで集まるコミュニティーの様な気がします。まあ、どちらも、現在では安全性の乏しい仕組みですけどね。
知り合いに預けられる範囲は、現代も昔もそんなに変わらない気がします。

因みに

映画では、保育室で男の保育士さんが、胡坐をかいていました。しかし、胡坐や横座りは、子供が躓いたりするので、保育士の男女問わず、保育室では絶対に正座です。
私の実家保育園でも、倅の通った保育園でもそうでした。

子育ては辛い事もあるけど、楽しい事も沢山ありました。

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